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玉砕主義に抗い、県民の命を守ろうとした知事を描く『生きろ 島田叡(あきら)―戦中最後の沖縄県知事』監督インタビュー « ハーバー・ビジネス・オンライン
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玉砕主義に抗い、県民の命を守ろうとした知事を描く『生きろ 島田叡(あきら)―戦中最後の沖縄県知事』監督インタビュー « ハーバー・ビジネス・オンライン
戦中最後の沖縄県知事を描いたドキュメンタリー映画『生きろ 島田叡――戦中最後の沖縄県知事』が全国で... 戦中最後の沖縄県知事を描いたドキュメンタリー映画『生きろ 島田叡――戦中最後の沖縄県知事』が全国で公開されています。 アジア太平洋戦争末期、すでに日本軍の敗色が濃厚だった1945年1月31日に、内務省の官僚島田叡(あきら)は沖縄県知事の辞令を受け、家族を大阪に残し、ひとり那覇の飛行場に降り立った。知事就任と同時に、島田は大規模な疎開を促進、食料不足解消のために自ら台湾に飛び、大量の米を確保するなど多くの施策を断行。米軍が沖縄本島に上陸した後は、壕(自然洞窟)を移動しながら沖縄県内の行政を指揮した。 時間が経つにつれ、戦況の悪化に伴い、大勢の県民が日々命を落としていた。一方で、軍部からは「玉砕こそ美徳」という発想の下、陣地の構築や食糧・弾薬の運搬、戦闘に住民を総動員し、住民は軍と生死を共にせよという「軍官民共生共死」の方針を突き付けられていた。住民を守るべきか、それとも軍の命令に従うべきか。

