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この写真の撮影日に夫婦共に自刃。乃木希典が神として崇められるまで | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
ここに1枚の写真がある。 穏やかな朝の風景。 食卓を囲んで、夫は静かに新聞を読み、妻はその傍らに立つ... ここに1枚の写真がある。 穏やかな朝の風景。 食卓を囲んで、夫は静かに新聞を読み、妻はその傍らに立つ。 大正元(1912)年9月30日。 何も変わったことのない、いつもの朝だった。いや、1つ変わっているとすれば。この日の2人は終始、にこやかであったという。 夫の名は「乃木希典(のぎまれすけ)」。 その肩書は凄まじい。日清戦争では第一旅団長。台湾総督を経て、日露戦争では第三軍司令官。陸軍大将、軍事参議官となり、その後は、学習院院長として次世代の教育にも貢献した。明治時代の代表的な軍人である。 妻の名は「乃木静子(のぎしずこ)」。 希典よりも10歳も下で、長州出身の希典が希望していた「鹿児島の女性」であった。日露戦争に夫と2人の息子が出兵する際には、戦死も見据えて、異臭を放たぬようにと香水を持たせたような逸話を持つ女性である。 そんな2人だが。 この写真が撮影された日の午後8時過ぎ。 夫婦共に
2022/04/07 リンク