エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
こんな会社辞めてやる
2002年を代表するヒット作になった5代目「フェアレディZ」。この開発は、水野和敏の個人プロジェクトと... 2002年を代表するヒット作になった5代目「フェアレディZ」。この開発は、水野和敏の個人プロジェクトとして動き始めた。一技術者による、1人だけの開発プラン。だが、会社はそれを認めない。走り出す前から、水野は窮地に立たされていた。 1996年、銀座の日産自動車での開発役員会議の席だった*。水野和敏は、役員からの容赦ない「口撃」にさらされていた。 そういえば、同じようなことがあったっけ。数年前の記憶がよみがえる。あの時と何も変わらない。いや、セリフは全く逆だったけれど。 それは、水野が市販車部門からレース部門に異動したての頃だった。「ちょっとピット裏のトイレまで来い」。呼び出された水野は、レース一筋の技術者に取り囲まれ、こうののしられた。 「市販車あがりが何を言う」 * 横浜市に移転する前の日産の本社。 論外、問題外、却下 水野が提案したのは「全ては人間のために」というコンセプトを掲げたシャシ
2019/03/10 リンク