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「史上最悪の作戦」から80年 元日本兵の手記に見る「自動車部隊」 知られざる任務の実態とは | 乗りものニュース
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「史上最悪の作戦」から80年 元日本兵の手記に見る「自動車部隊」 知られざる任務の実態とは | 乗りものニュース
史上最悪の作戦といわれるインパール作戦から生還した祖父。遺した手記をもとに、自動車部隊として従軍... 史上最悪の作戦といわれるインパール作戦から生還した祖父。遺した手記をもとに、自動車部隊として従軍したときの様子に前後編で迫ります。任務は武器弾薬から兵員、燃料、上官の現地視察に至るまでの「輸送」でした。 祖父は自動車部隊として従軍 筆者(吉永陽一:写真作家)の祖父は、ビルマ戦線の激戦をくぐり抜け生還し、戦場での体験を何度も話してくれました。祖父は30年前に亡くなり、もう話を聞く事が叶いませんが、インパール作戦や死屍累々の白骨街道など、地獄の戦場といわれるビルマ戦線の体験談は、子供心ながらにショックで深く記憶しています。 拡大画像 インパール作戦における、コヒマの戦い。茂みの中で日本兵を探すイギリス兵(画像:帝国戦争博物館/IWM)。 祖父は1940(昭和15)年の臨時招集で輜重兵第一連隊留守隊に応召となり、自動車部隊の訓練を受けてトラックの運転手となったものの、いったんは除隊。1941(昭