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呪いをどう解くか、凡庸な「優生気分」 視標「相模原殺傷事件10年」 批評家 杉田俊介
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呪いをどう解くか、凡庸な「優生気分」 視標「相模原殺傷事件10年」 批評家 杉田俊介
植松聖の意志は依然、この国に呪いとして蔓延(まんえん)し続けているようだ。祭り上げたいのではない... 植松聖の意志は依然、この国に呪いとして蔓延(まんえん)し続けているようだ。祭り上げたいのではない。呪いをいかに解くか、その条件を見すえたい。 事件の後、障害者支援の同僚たちは時間が50年巻き戻ったかのようだ、と悲嘆していた。 1970年頃以降、脳性マヒ者たちの「青い芝の会」は、障害者を「あってはならない生」として排除する障害者抹殺の思想を批判した。それを健全者文明、と呼んだ。のみならず、「内なる優生思想」が批判された。優生思想を批判する自分たちの内面にも優生思想が根深く食い込んでいないか、と。 だが、現在は「剝き出しの優生気分」が感染爆発しているかのようである。生きるに値する生/値しない生がコスパに基づいて線引きされる。安楽死の法制化を望む声がSNSなどで上がる。死刑がうらやましい、とさえ言われる。 児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書)によれば、国ごとの違いはあれど

