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日本史アウトドアズマン列伝① 「さらさら越え」――戦国武将、佐々成政による厳冬の北アルプス踏破 | 日本の旅 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル
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日本史アウトドアズマン列伝① 「さらさら越え」――戦国武将、佐々成政による厳冬の北アルプス踏破 | 日本の旅 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル
富山県、岐阜県、新潟県、長野県にまたがる北アルプス(飛騨山脈)は、登山者にとって魅力的な山々が名... 富山県、岐阜県、新潟県、長野県にまたがる北アルプス(飛騨山脈)は、登山者にとって魅力的な山々が名を連ねるエリアだ。とはいえ、冬に北アルプスに登るとなると、十分な経験と周到な装備が必要なことはいうまでもないだろう。 今から433年前、厳冬期の北アルプスを踏破した男がいた。もちろん登山家ではない。その男の名は、戦国武将で富山城主の佐々成政(1539~88)である。 佐々成政肖像 彼は、織田信長に仕えて数々の合戦で功を挙げ、越中(富山県)一国の領主に出世する。ところが信長が本能寺の変で斃れると、同じ織田家家臣である羽柴(豊臣)秀吉が天下の覇権を掌握することとなる。 そこで秀吉に待ったをかけたのが、信長の子の織田信雄と徳川家康であった。天正12年(1584)3月、織田・徳川連合軍は、尾張(愛知県)北部で秀吉軍と合戦に及ぶ(小牧・長久手の戦い)。遠く越中にあった佐々成政は、信雄と家康の誘いに応じて秀

