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できるとできない 村川拓也『ムーンライト』
村川拓也の『ムーンライト』を、私は京都での初演(二〇一八年十二月)にはどうしても都合が合わなかっ... 村川拓也の『ムーンライト』を、私は京都での初演(二〇一八年十二月)にはどうしても都合が合わなかったので、今回の「フェスティバル/トーキョー20」で初めて観た。「ピアノの発表会」が題材となっているらしいこと、京都在住の高齢の男性が主役(?)であるらしいことぐらいしか予備知識のないまま、いつものことではあるが出来るだけ白紙の状態で観て、したたかに打ちのめされた。『ツァイトゲーバー』(二〇一一年)に静かな衝撃を受けて以来、私は村川の作品を可能な限り── どうしても関東方面での上演に偏ってしまいはしたが── 追ってきたつもりだが、この『ムーンライト』によって、彼はその強固な作家性と鋭敏な問題意識を維持したまま、新たな段階へと踏み出したと思う。そのことについて書く。 『ムーンライト』は、二脚のパイプ椅子とグランドピアノが置かれてある他は何もない舞台で、中島昭夫さんという七十代の男性に、村川拓也がイン