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源平時代の戦法 - 新小児科医のつぶやき
■騎の復習 源平時代の武者とは領主の事を指します。この領主が領内から調達した兵を率いて来るのが軍の... ■騎の復習 源平時代の武者とは領主の事を指します。この領主が領内から調達した兵を率いて来るのが軍の単位(いわゆる騎単位)になります。ほいではどれぐらいの兵を率いる事が出来たかです。知っているのは3ヶ所だけで相模最大の荘園とされた大庭御厨で100町ぐらい、下野の足利荘が立券された時に200町、無茶苦茶ローカルで申し訳ありませんが故郷に近い久留美庄が90町ぐらいだっとされます。面積で言うとピンと来ないので石単位に換算してみます。 1町は10反で1反からは1石の米がとれます・・・と言いたいところですが、これは延喜式でも上田での事です。中田や下田、さらに下下田になるとそんなに取れません。延喜式の計算は前にやりましたが、七分法で計算すると4斗/反ぐらいになります。平安末期になっていますから、もう少し生産効率が上がっているとしても5〜6斗/反ぐらいの可能性もあります。また荘園もすべてが田であった訳でな