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自由とデモクラシーという武器 : 池田信夫 blog
2014年11月30日10:43 カテゴリ本 自由とデモクラシーという武器 なぜ必敗の日米戦争を始めたのかという... 2014年11月30日10:43 カテゴリ本 自由とデモクラシーという武器 なぜ必敗の日米戦争を始めたのかという問題については多くの研究があるが、本書は防衛庁戦史室で戦史を編纂した著者が、日本軍の機密書類をもとに作戦の立場からみたものだ。これを読むと、最後まで責任の所在が不明なまま戦争に突っ込んだことがわかる。 1941年になると、陸軍の軍務局(武藤章局長)と参謀本部(田中新一作戦部長)の対立が先鋭化する。普通の国の常識では、政府機関である軍が参謀本部の作戦を指揮するのであってその逆ではないが、日本では統帥権の独立によって参謀本部が天皇に独自に上奏できる制度になっていたため、両者は同格で争った。 これを統率する内閣も、近衛文麿首相では何もできなかった。9月6日の御前会議で実質的に日米開戦の方針が決まったあとも近衛は抵抗したが、東條英機に押し切られた。10月12日の「荻窪会談」のやりとりは有
2014/12/01 リンク