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【刀剣紹介】北野江 - 日本刀の世界 ~日本の様式美~
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【刀剣紹介】北野江 - 日本刀の世界 ~日本の様式美~
北野江 『享保名物帳』所載の名物、郷義弘作の太刀です。本阿弥光瑳・同光益の両人が、泉州堺から買って... 北野江 『享保名物帳』所載の名物、郷義弘作の太刀です。本阿弥光瑳・同光益の両人が、泉州堺から買ってきたもので、同光徳が義弘ときめ、千五百貫の折紙をつけました。そして 中心に「江磨上 光徳(花押)」と金象嵌を入れました。この文字は本阿弥光悦が書いたといいます。前田利常は慶長十九年(一六一四)九月に、襲封の御礼言上のため、徳川家康のいる駿府に赴く途中、本阿弥光瑳が襲封のお祝いと称し、本刀を持って名古屋まで追っかけてきました。藩主になれて気の大きくなっていた利常は、気前よく本刀を買い あげました。後年、利常は上洛のおり、北野天満宮の神事奉行・松梅院の邸に泊っていて、近くを流れる紙屋川の畔で、本刀の試し斬りをやらせました。切れ味は上々だったので、試し場の地名をとって、北野江と呼ぶようになりました。『享保名物帳』書上げのころは、 代付けも五千貫に上がっていました。前田家では本刀を江戸の藩邸においてあ