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あまりにも美しすぎる墓3つと離島の歴史「豊見親墓」【宮古島】
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あまりにも美しすぎる宮古島アトンマ墓。ツタに覆われ森の奥深くに眠るアンコールワット遺跡のよう。18... あまりにも美しすぎる宮古島アトンマ墓。ツタに覆われ森の奥深くに眠るアンコールワット遺跡のよう。18後半〜19世紀前半の築造と言われています。アトンマとは後妻の意味です。 上比屋山遺跡:周辺の国々と貿易 15世紀半ばに琉球王国が統一されるまでは、宮古・八重山の離島はどのような状態だったのでしょう? 以前ご紹介した上比屋山遺跡(ういぴゃーやまいせき)は14〜15世紀ごろの集落でした。中国の陶磁器なども発掘されていましたね。このことから周辺の国々と貿易をしていたと考えられています。当時の宮古・八重山にはたくさんの首長がいました。