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人間爆弾・桜花を発案した男の「あまりに過酷なその後の人生」(神立 尚紀) @gendai_biz
「桜花」生みの親となってしまった男の49年後の悔恨 大田が、終戦3日後の8月18日、零戦を操縦、空の彼方... 「桜花」生みの親となってしまった男の49年後の悔恨 大田が、終戦3日後の8月18日、零戦を操縦、空の彼方に消え、「公務死」とされたのは、先に述べた通りである。その模様を目撃した佐伯さんによると、大田の乗った零戦は、ボロのミシンで縫うようにヨロヨロと離陸していき、やがて見えなくなった。 これが、ほんとうに自決を覚悟しての行動だったのか、狂言だったのか、そこのところも謎である。結果として大田は、海上に着水して漁船に救助された。北海道に渡ってしばらくそこで過ごしたとされるが、植木さんは、戦後間もない頃、神ノ池基地のあった近くで、階級章をはずした軍服姿の大田と、偶然バスで乗り合わせたという。青森や名古屋で会ったという人もいるし、かつての戦友に寸借を重ねていたという話もある。 そして大田は、昭和25(1950)年頃、「横山道雄」の偽名で大阪に出て、日本橋の電気街裏の借家に居を構え、ここで義子さんと出
2019/03/23 リンク