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林若樹 - Wikipedia
林 若樹(はやし わかき、1875年(明治8年)1月16日 - 1938年(昭和13年)7月12日)は、明治時代から昭... 林 若樹(はやし わかき、1875年(明治8年)1月16日 - 1938年(昭和13年)7月12日)は、明治時代から昭和時代初期にかけての収集家。本名は若吉。父は林研海、伯父に松本良順[1]がいる。 生涯[編集] 東京府東京市麹町区に生まれるが、早くに両親を失い、叔父の林董[2]に養われた。祖父の林洞海から最初の教育を受け、病弱であったため旧制第一高等学校を中退するが、その頃から遠戚にあたる東京帝国大学教授・坪井正五郎の研究所に出入りして考古学を修めた。遺産があったため定職に就かず、山本東次郎を師として大蔵流の狂言を稽古し、狂歌・俳諧・書画をたしなみ、かたわら古書に限らず雑多な考古物を蒐集した。 明治29年(1896年)に、同好の有志と「集古会」を結成し、幹事となり雑誌『集古』の編纂を担当した。論考も「集古」のほか、『彗星』『日本及日本人』『浮世絵』『新小説』『同方会報告』『ホトトギス』な