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柴野徹夫 - Wikipedia
柴野 徹夫(しばの てつお、1937年 - 2020年 )は、日本のジャーナリスト。 経歴[編集] 京都市生まれ。1... 柴野 徹夫(しばの てつお、1937年 - 2020年 )は、日本のジャーナリスト。 経歴[編集] 京都市生まれ。1959年より京都教職員組合専従書記。1960年、仲間とともに季刊雑誌『ぼくらを見てくれ』を創刊、やがて「書かせ屋テツ」のあだ名がつくほど編集に夢中になる。 1973年、「赤旗」採用試験を受け記者になる。連載「日本の貧困」の取材では、持ち帰り弁当店の臨時店員になり、客に話を聞くことから始めた。原発の取材に力を注ぎ、危険な仕事に従事する日雇い労働者の存在、敦賀原発の事故隠し、原発に巣くうやくざの実態、札束攻勢に心を荒廃させる住民の姿などをスクープした。心を許しあった下請け労働者から危険を冒しての内部資料提供を受けることもあり、原発下請労組の結成のため奔走もした。1981年、「敦賀原発事故スクープ」により「赤旗」原発取材班小林由知、松橋隆司とともに第24回日本ジャーナリスト会議奨励