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函館を語る(4) | I shall be released
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函館を語る(4) | I shall be released
船見町で見つけた工事標。いったいいつのものだろうか。 前回、資産家が街の形成のための金を出さなくな... 船見町で見つけた工事標。いったいいつのものだろうか。 前回、資産家が街の形成のための金を出さなくなったと述べた。これはある意味、時代の流れだ。自由競争資本主義社会では「自分さえよければそれでいい」という本質を持っている。業績悪化した企業が、人員削減策を打ち出したら株価が上がる。ただでさえ不景気な世の中に失業者が増えたなら、余計に消費が鈍化し、不景気のスパイラルに世の中全体が陥ってしまうのに、株式市場ではその会社の株価は高くなる。 理由は簡単だ。投資家は自分が投資している会社の株さえ上がればいいからだ。世の中のことを考え、たとえ苦しくても雇用を継続している会社は評価されない。それが市場経済だ。 企業は会計上、有価証券などの資産も時価で計上しなければならないから、投資家に評価される方法を選ぶ。株価が下がれば営業利益があったとしても、赤字決算になることは多くある。それを避けなければならないのだ。