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流鏑馬(ヤブサメ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
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流鏑馬(ヤブサメ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
馬を走らせながら、雁股(かりまた)をつけた鏑矢(かぶらや)で三つの的を順次射る射技。その名は「矢馳せ... 馬を走らせながら、雁股(かりまた)をつけた鏑矢(かぶらや)で三つの的を順次射る射技。その名は「矢馳せ馬(やばせめ)」の転訛(てんか)という。1096年(永長1)4月には白河(しらかわ)上皇臨席のもとに鳥羽(とば)殿の馬場で、同年5月には高陽院で催されており、当時京洛(けいらく)の武者たちの間に普及していたことがうかがわれる。ついで鎌倉時代に入ると、将軍源頼朝(よりとも)の奨励と法式の統一化もあって、鎌倉の地でも盛んになった。一方、早くから祭礼、神事とも結び付き、城南寺祭や新日吉(ひえ)社の五月会(さつきえ)、鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)放生会(ほうじょうえ)などでも12世紀中には恒例化して奉納されている。また、たとえば肥前国河上宮(かわかみぐう)でも、1162年(応保2)には5、8月の神事流鏑馬が中絶している記録もあり(『平安遺文』)、地方でも神事との結び付きは意外に早かったことが