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ジョルジュ・バタイユ「呪われた部分」 - モナドの方へ
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マルセル・モース「贈与論」 - モナドの方への流れで読んだ。 これを経済学の本と言ってしまうと、経済... マルセル・モース「贈与論」 - モナドの方への流れで読んだ。 これを経済学の本と言ってしまうと、経済畑の人に怒られてしまうだろう。「過剰とは美である」というウィリアム・ブレイクの引用から始まる本書は、むしろ経済学以上の人間の活動全体を射程に入れた、実に野心的な本である。 バタイユの主張は大変シンプルだ。交換による獲得手段が起源としては、獲得への要求ではなく、逆に破壊と損失への要求から発したものである、ということだ。あらゆる生物は生きるためにエネルギーを獲得または生産しようとするわけだが、必要以上に得たエネルギーは成長に投資するか蕩尽するか二つに一つしかない。ポトラッチのような破壊的交換儀式は、この蕩尽から生まれたものであるとバタイユは主張するのだ。 このことをバタイユは普遍経済と呼ぶ。イスラム教では軍事力に、ラマ教では修道制度と僧院へ余剰エネルギーを注ぎ込んだ。そんな風に、この蕩尽という概