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雲仙・普賢岳大火砕流 巨大な熱風から生還 佐藤さん、32年経て当時を語る | 長崎新聞
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雲仙・普賢岳大火砕流 巨大な熱風から生還 佐藤さん、32年経て当時を語る | 長崎新聞
雲仙・普賢岳の大火砕流からきょうで32年―。 島原市南崩山町の元タクシー運転手、佐藤正行さん(70)は... 雲仙・普賢岳の大火砕流からきょうで32年―。 島原市南崩山町の元タクシー運転手、佐藤正行さん(70)は、消防団員や報道関係者ら43人が犠牲となった1991年6月3日の雲仙・普賢岳大火砕流で同僚を亡くした。濃い灰色の巨大な熱風は、普賢岳を間近に臨む取材拠点「定点」にいた同僚より標高が高い場所にいた佐藤さんのタクシーも巻き込んだ。佐藤さんは奇跡的に生還した。「生き延びたのも運命。あの煙の中で何が起きたのかを伝えたい」。32年を経て重い口を開いた。 ◆ ◆ ◆ 佐藤さんは当時38歳。小嵐タクシー(同市)の運転手だった。亡くなった同僚は、当時29歳だった立光重蔵(たちこうしげぞう)さん。立光さんは人懐っこく、車好き。毎日のように佐藤さん宅に寄っては話をし、佐藤さんは弟のようにかわいがっていたという。 6月3日。佐藤さんのタクシーは放送局の取材陣を乗せ、定点(標高約200メートル)より山手の現場に向