エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
引き揚げの悲劇、語り継がなくては 岡孝一さん(89)=西海市西彼町= 「地獄だった」逃避行 戦争の記憶 2022ナガサキ | 長崎新聞
引き揚げの悲劇、語り継がなくては 岡孝一さん(89)=西海市西彼町= 「地獄だった」逃避行 戦争の... 引き揚げの悲劇、語り継がなくては 岡孝一さん(89)=西海市西彼町= 「地獄だった」逃避行 戦争の記憶 2022ナガサキ 「牧歌的な暮らしは一変。引き揚げは地獄だった」 長崎に原爆が投下された1945年8月9日。旧満州(中国東北部)ではソ連軍が国境を越え、侵攻を始めた。岡孝一さん(89)は当時13歳。国境近くの東満(とうまん)省穆棱(もうりょ)県(現・黒竜江省穆棱市)の開拓団の家族として、両親と4人きょうだいの6人で暮らしていた。 父定(さだむ)さん(77年死去、享年80)は約180人の開拓団をまとめる団長だった。農業技術者で、家では軍馬や豚、鳥を飼い、冬は極寒の厳しい環境だったが「夏は過ごしやすく、景色も広大。空襲もなく穏やかだった」と振り返る。 警察から避難勧告を受け家財道具を馬車にまとめ、10日朝、着の身着のまま家を出た。開拓団員らの馬車は隊列となり、鉄道の駅を目指して歩み始めた。
2022/02/22 リンク