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司馬遼太郎も断言 富山県に東西の文化圏の分水嶺が存在
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司馬遼太郎も断言 富山県に東西の文化圏の分水嶺が存在
今年3月に北陸新幹線が開通し、北陸と都心が飛躍的に近くなりました。そこで8月11日発売の雑誌『ケトル... 今年3月に北陸新幹線が開通し、北陸と都心が飛躍的に近くなりました。そこで8月11日発売の雑誌『ケトル』は、特集のテーマとして「富山と金沢」をピックアップ。富山と金沢の名所や名産品、美味しい物や美味しいお店を紹介しています。今回紹介するのは、富山県に存在する“日本のさかい目”について。富山を境に、東と西で何が違うのでしょうか? 富山県のほぼ真ん中に位置する呉羽丘陵。富山県民からは“呉羽山”の通称で親しまれている標高100メートル程度の小高い山ですが、実はこの呉羽山を境に日本の東西の文化圏が分かれているのです。 かの司馬遼太郎のエッセイ『街道をゆく(4)』の中には、 「越中の野は、鶴がつばさをひろげたかっこうで富山湾を抱いている。野の中央の呉羽山というナマコ形の丘陵が、富山を関東文化圏と関西文化圏に分けている。東西は方言も、生活意識も商売の仕方も違う」 との記述があります。 富山は呉羽山を境に