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【219】台東区根岸 夏香る正岡子規庵 - Shooting Tokyo
明治27年から35歳で亡くなるまでの8年間、正岡子規が暮らした家が鶯谷のラブホテル街にあります。... 明治27年から35歳で亡くなるまでの8年間、正岡子規が暮らした家が鶯谷のラブホテル街にあります。故郷の松山から母親と妹を呼び寄せ、ここで結核と闘いながら俳人としての活動を続けたそうです。庭に出ると、生い茂る草木から夏の匂いがしました。 昭和20年に空襲で焼け、現在の庵はその後に復元されたものです。この机も複製だそうですが、傷や木目も復元されているとのことです。 客は私以外に2人しかいなかったので、机の前に座ってゆっくり庭を眺めることができました。 ヘチマの水は痰を切る効用があるとのことで、結核に苦しんだ子規は、亡くなる前日に詠んだ最後の歌の中にヘチマを登場させています。 正岡子規といえば、司馬遼太郎が書いた「坂の上の雲」の印象が強いです。子規は陸羯南が社主の「日本新聞」の記者でもあり、日清戦争では従軍して遼東半島に行っています。記者としての当初の月給は15円。他社が数百円を提示しても転職は
2017/07/24 リンク