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父でもなく、城山三郎でもなく 井上紀子 著~誇らしげで、微笑ましく伝えられる父の実像
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父でもなく、城山三郎でもなく 井上紀子 著~誇らしげで、微笑ましく伝えられる父の実像
昨年3月に亡くなった「城山三郎」への思いを、次女が綴った本である。著者にとって父・城山三郎は「父... 昨年3月に亡くなった「城山三郎」への思いを、次女が綴った本である。著者にとって父・城山三郎は「父であって父でない存在」であった。娘には、父とは本名の「杉浦英一」であるのだが、亡くなってみると、作家「城山三郎」の存在が考えていた以上に大きく立ち現われてくる。だから、父・杉浦英一として見続けてきた人を、否応なしに作家・城山三郎として見詰め直さなければならなかった。 本名ではなくペンネームや芸名で仕事をしている人は多いが、その家族は世間に通用しているのとは違う貌(かお)に日々接している。仕事をしている姿は父親とイコールではないのだ。そのギャップは仕方がないことだが、その業績を追うことで次第に違う貌になれてくる。どうやらそれが本当の貌ではないかと思えてくる。著者の場合はまさしくそうであった。一年経って、ようやく父と城山三郎がイコールで結ばれるようになった。 「城山三郎」は、ことのほか人が好きだった