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鹿島の社長が「横浜市立南高」に回顧する青春
実家は横浜の井土ヶ谷というところでミシン加工屋をやっていて、中華街向けに中国の民族衣装を仕立てる... 実家は横浜の井土ヶ谷というところでミシン加工屋をやっていて、中華街向けに中国の民族衣装を仕立てる仕事をしていました。ただ、私が中学生の時に親父が倒れまして、寝たきりになって仕事ができなくなってしまったんです。そこで私も働きに出ることになりまして。平日は毎日新聞配達、休日は郵便局で郵便の仕分けをしていました。 奨学金を借りて何とか公立高校に入った 中学3年生になって進学するかどうかを相談したとき、親父が「高校ぐらい卒業しなきゃだめだ」と。奨学金を借りれば何とか公立高校に入れるので、中学の学区の中にあった横浜市立南高校に進学しました。皆から「なんこう」と呼ばれています。今でこそ中高一貫校になって、進学実績も伸びていますが、当時は東大がせいぜい1人2人出るかどうかで、進学実績も大したことはなかったんですよ。