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思い起こせばバブル全盛時代1987年秋、10年ぶりのF1日本グランプリが鈴鹿で開催されたことで、多くのモ... 思い起こせばバブル全盛時代1987年秋、10年ぶりのF1日本グランプリが鈴鹿で開催されたことで、多くのモータースポーツファンとともに、日本国内にF1ブームが沸き起こった。 もちろん、その年の開幕戦からフジテレビによる全戦生放送というテレビのパワーも大きく働いていた。 そして何より、大きな話題だったのは日本人初のフルタイムF1ドライバー中嶋悟氏の参戦だろう。国内外で十分すぎるほどの活躍をし、34歳、早くはない年齢でのF1デビューとなった。 ホンダと中嶋悟にも熱狂したあの時代 そしてもう1つの話題はホンダというメーカーの参戦だ。1960年代からF1に参戦していたホンダは1968年を最後に活動をいったん休止したものの、1983年の夏にエンジンメーカーとして新しいターボチャージ(過給機)時代のF1に戻ってきた。すでにホンダエンジン開発を担っていた中嶋氏の愛車となるマシンも、ホンダエンジン搭載のロー