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ヘイトを撒き散らす危険な「愛国思想」の元凶
教育勅語に代わる国民道徳を定めようとする試みは、戦後繰り返し行われた。その最初のものが、天野貞祐... 教育勅語に代わる国民道徳を定めようとする試みは、戦後繰り返し行われた。その最初のものが、天野貞祐文部大臣(1950年5月~1952年8月)の修身復活論と「国民実践要領」の作成だ。 1950年11月、全国都道府県教育長協議会において天野文相は「みんなが心から守れる修身を、教育要綱というかたちでつくりたい」と発言。さらに同月新聞に「わたしはこう考える――教育勅語に代わるもの」と題する論考を発表し、教育勅語に代わる道徳的規準の必要性を説いた。 1951年9月には「国民実践要領」を文部大臣名で発表する方針を示したが、10月参議院本会議における「国家の道徳的中心は天皇にある」との発言が批判を呼び、11月には同要領の発表を白紙撤回した。 この要領は1953年に私的な書物として刊行されたが、「愛国心」という徳目について「国を愛する者は、その責任を満たして、国を盛んならしめ、且つ世界人類に貢献するところ多
2019/02/01 リンク