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「寅さん」を支えた葛飾柴又の知られざる人情
葛飾柴又、中でも帝釈天題経寺と門前は、「寅さん」の心のふるさと、映画になくてはならない舞台。1968... 葛飾柴又、中でも帝釈天題経寺と門前は、「寅さん」の心のふるさと、映画になくてはならない舞台。1968年から27年にわたり、盆と正月の前の年2回、山田洋次監督は俳優やスタッフたちを引き連れてそれぞれ2カ月近く通った。柴又の人たちにとって「寅さん」映画を創る人たちは、年に2度やってくる親戚のような存在になっていった。柴又で暮らすお2人に映画について語ってもらおう。 休憩室として使われた草だんご屋 まずは、『男はつらいよ』第2作から店を休憩室として提供した髙木屋老舗の6代目であり、柴又神明会会長の石川宏太さんから話していただこう。 1969年に第1作のロケが始まると、山田組の皆さんは、まちのあちこちを休憩所として使われていたのですが、2作目からうちを休憩室にご利用くださいと母がお声がけし、お世話させていただけるようになりました。事務所には山田監督がおられて、コーヒーを飲みながら脚本を直していらっ