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誰も知らない昆虫標本を日本で初めてつくった男
漢方医の三男として生まれ、薬学や博物学を学ぶ 田中芳男、現代でも同姓同名が多くいそうな名前だが、幕... 漢方医の三男として生まれ、薬学や博物学を学ぶ 田中芳男、現代でも同姓同名が多くいそうな名前だが、幕末から明治に活躍した人物だ。「日本の博物館の父」と呼ばれ、東京国立博物館や上野動物園などを設立したが、田中芳男が博物館の設置に力を注ごうとしたのは、幕末にパリにいったことがきっかけだった。なぜ江戸時代に洋行し、いったいパリで何をしたのか、そのあたりから芳男について語っていこう。 田中芳男は、天保9年(1838)に田中隆三の三男として飯田城下(現在の長野県飯田市)の千村陣屋で生まれた。千村陣屋というのは、旗本の千村平右衛門が榑木山を管理し村々から年貢を徴収するために置いた役所で、隆三は陣屋で漢方医として働いていた。だから幼い頃から芳男は、父と山野を跋渉して植物を採取してはさまざまな薬を製したので、本草学(いまの薬学、博物学)に興味を覚え、父の蔵書を次々と読破していった。 安政元年(1854)、兄