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[3]明治期日本の保守主義受容 - 五野井郁夫|論座アーカイブ
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[3]明治期日本の保守主義受容 - 五野井郁夫|論座アーカイブ
[3]明治期日本の保守主義受容 英議会政治とエドマンド・バーク 五野井郁夫 高千穂大学経営学部教授(... [3]明治期日本の保守主義受容 英議会政治とエドマンド・バーク 五野井郁夫 高千穂大学経営学部教授(政治学・国際関係論) 現代日本において「保守」を自称する立場は、日本古来の伝統や慣習を重視する者もいれば、むりやり「伝統の創造」を行う者まで多岐にわたる。 それら自称「保守」が自己申告している出自はどうであれ、歴史的な視座から捉え直した場合、日本保守主義の起源、すなわちヨーロッパ近代に出現した保守主義の日本への本格的な輸入の時期は容易に特定しうる。 保守主義思想の紹介と受容が活発になるのは、明治維新からほど遠くない明治10年代である。 その後明治20年代には明治憲法の公布と施行に合わせて、鳥尾小弥太のような保守主義を標榜する政治家による「保守党中正派趣意書及立党大意」も公表され、機関誌として『保守新論』(1889-1891年、中正社)も発行されている。 まず思想面では1879年(明治12年)