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サンミュージック・リッキー社長「人の面倒を見ていたら、社長になっちゃいました」
カンニング竹山さんやダンディ坂野さんなど、 数多くの芸人から「恩人」として名前が挙がる、 芸能事務... カンニング竹山さんやダンディ坂野さんなど、 数多くの芸人から「恩人」として名前が挙がる、 芸能事務所サンミュージックの社長・リッキーさん。 今回、リッキーさんの半生を綴った一冊、 『サンミュージックなお笑いの夜明けだったよ!』の帯を 糸井重里が書いたご縁で対談が実現したのですが、 じつは、糸井がリッキーさんと最後に会ったのは、 もう40年近く前のこと。 1982年、『ザ・テレビ演芸』で結成2年目にして チャンピオンに輝いた当時の「若手芸人」リッキーさんと、 その姿を「審査員」席で見ていた糸井。 「あのときの若者」が、たくさんの若手芸人にとっての 「恩人社長」になるまでの人生模様を、 糸井があっちからこっちから面白がりました。 役者志望だった若者時代、変わりゆく夢、 そして、後輩たちに伝えてきた「たったひとつ」のこと。 全7回でお届けします。 糸井 まずは一応、読者の方に、 僕とリッキーさん
2024/05/15 リンク