エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
在韓被爆者 74年後の闘い 陜川の養護施設に100人、原爆資料館も 苦難越え「核廃絶を」 | 西日本新聞me
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
在韓被爆者 74年後の闘い 陜川の養護施設に100人、原爆資料館も 苦難越え「核廃絶を」 | 西日本新聞me
被爆者が多く暮らし「韓国の広島」と呼ばれる韓国南部の陜川(ハプチョン)郡。2017年に韓国初の原爆資... 被爆者が多く暮らし「韓国の広島」と呼ばれる韓国南部の陜川(ハプチョン)郡。2017年に韓国初の原爆資料館が開館し、核兵器廃絶の発信拠点としての役割も担う。韓国人被爆者は長年、日韓両政府の支援を得られず、苦難の道を歩んできた。その声に改めて耳を傾けた。 「パァーっと花火のような光線が見えた。熱風が吹いてきて、全身にガラスの破片が刺さり、気づけば血の海だった」「男女の区別も付かない死体があちこちに重なっていた」 1945年8月6日、広島市の爆心地から約1・6キロの地点で被爆した李水龍(イスヨン)さん(91)が流ちょうな日本語で語る。今年8月21日、原爆資料館に隣接する被爆者養護施設「陜川原爆被害者福祉会館」をゼミ研修で訪れた長崎大と創価大の学生たちが李さんたち入所者の証言に耳を傾けた。 福祉会館は96年に開館。現在は約100人の被爆者が入所している。この日は李さんたち3人の女性が被爆体験を証言