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【THE古墳】応神天皇陵はなぜ活断層上に築かれたのか 垣間見えるヤマト王権の主導権争い
河岸段丘上に築かれた巨大古墳。(手前から)応神天皇陵古墳、仲姫命陵古墳、允恭天皇陵古墳(右奥)。... 河岸段丘上に築かれた巨大古墳。(手前から)応神天皇陵古墳、仲姫命陵古墳、允恭天皇陵古墳(右奥)。応神天皇陵古墳の前方部西側(左端)は地震によって大きく崩れたというえぐられたような巨大な前方後円墳。国内2番目の規模を誇る応神天皇陵古墳(大阪府羽曳野市、5世紀前半)の航空レーザー測量図を見ると、前方部の西側が大きく崩れているのが一目で分かる。ほぼ真下に活断層が走り、マグニチュード(M)7以上の大地震が原因という。なぜ活断層の上に築かれたのか-。不安定な地盤と知りながら、ライバルを意識して無理に巨大化したためとの見方も。崩れた墳丘の姿から、連合政権とされるヤマト王権内の主導権争いも垣間見える。 応神天皇陵古墳の航空レーザー測量図。前方部西側(左)が大きく崩れているのが分かる。東側の堤に接しているのが二ツ塚古墳(右)=百舌鳥・古市古墳群世界遺産保存活用会議提供活断層が墳丘縦断墳丘長は425メートル
2023/02/08 リンク