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戦時が日常化したロシア社会 赤の広場で
7日、モスクワのクレムリンで5期目就任の宣誓に臨むロシアのプーチン大統領(ロシア大統領府提供・ロ... 7日、モスクワのクレムリンで5期目就任の宣誓に臨むロシアのプーチン大統領(ロシア大統領府提供・ロイター=共同) ロシアのウクライナ侵攻開始後、初めてこのコラムを執筆している。侵攻直前の2022年1月には「プーチン大統領が侵攻を思いとどまるよう願う」と書いたが、届かなかった。この2年間、モスクワで露社会をずっと観察してきた。伝えたいことは多いが、今回はウクライナ危機に接して改めて感じた「慣れの恐ろしさ」について触れたい。 ロシアでは22年2月の侵攻開始直後や9月の部分的動員の発動時に抗議デモが起きた。だが、それ以降、露社会は表向き平穏を取り戻した。デモを粉砕し、反戦的な言動を取り締まる政権への国民の恐怖が背景にあるのは確かだ。ただ、ある露社会学者は「戦時が日常化した生活に国民が慣れたことも要因だ」とみる。 慣れは私も同様だ。この2年間、「敵兵何百人を殺害した」「敵の攻撃で市民何十人が死亡した