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【内藤克彦 本当に強かった日本】戦国大名の鉄砲隊は世界的にも抜きんでていた 大航海時代のスペインに対する日本の実力は…国王「危険冒さぬように」と勅令(1/2ページ)
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【内藤克彦 本当に強かった日本】戦国大名の鉄砲隊は世界的にも抜きんでていた 大航海時代のスペインに対する日本の実力は…国王「危険冒さぬように」と勅令(1/2ページ)
大航海時代のスペインなどに対し、戦国日本の実力はどの程度だったであろうか。日本で鉄砲が量産されて... 大航海時代のスペインなどに対し、戦国日本の実力はどの程度だったであろうか。日本で鉄砲が量産されていたが、西洋諸国に比べた動員力はどうであろうか。戦国大名の鉄砲動員力には、不明なところが多いが、以下のような断片的な記録がある。 イエズス会の宣教師、ルイス・フロイスの『フロイス日本史』によれば、1584年の沖田畷(おきたなわて)の戦い(=九州の戦国大名・龍造寺隆信と、有馬晴信・島津家久との合戦)で、竜造寺軍は4000~5000丁のマスケット銃クラスの鉄砲隊と2門の小型砲で攻撃したとある。 歴史研究家、鈴木眞哉氏の著書『鉄砲と日本』(ちくま学芸文庫)によると、関ヶ原の戦い(1600年)では、出陣した各大名軍の4分の1程度は銃兵で、石田三成は大砲数門を使用したとある。両軍合わせて数万の鉄砲で撃ち合いをしたことになる。 同書によれば、大坂の陣では、伊達家の銃兵率は60%以上だった。両陣営を合わせると