僕はいつも怠惰な生活を維持することを第一に考えていて、要するに毎日ごろごろしていたいんだけど、何故そうなのかを考えてみると、どうやら僕は「本当に面白いものは怠惰さの中からしか生まれない」と考えているからみたいだ。一般に他の人がどうかは知らないけど自分が何か面白いことをするときはいつもそうな気がする。でもそれで合ってるのかはよくわからない。何かのマネージメントが下手なだけなのかもしれない。
僕はいつも怠惰な生活を維持することを第一に考えていて、要するに毎日ごろごろしていたいんだけど、何故そうなのかを考えてみると、どうやら僕は「本当に面白いものは怠惰さの中からしか生まれない」と考えているからみたいだ。一般に他の人がどうかは知らないけど自分が何か面白いことをするときはいつもそうな気がする。でもそれで合ってるのかはよくわからない。何かのマネージメントが下手なだけなのかもしれない。
親密性の社会学―縮小する家族のゆくえ (SEKAISHISO SEMINAR) 作者: 筒井淳也出版社/メーカー: 世界思想社発売日: 2008/01メディア: 単行本 クリック: 60回この商品を含むブログ (24件) を見る 親密な関係はこれまで、学術的考察の対象ではなかったらしい(同書p.1)。 著者ご自身による、「10秒で分かる要点」: 親密な関係には独自の効率性があり、それゆえにそこから得られる満足は市場や政府に代替されにくい。(「民でできることは民へ!」と言われてもできないものがある。しかも官にもできない。)*1 身近な関係を対象化するのに、「潜在的機会費用」「ホールドアップ問題」など、経済学の用語が試みられているのは、勉強になったし、苦痛緩和にも役立つと思う。 しかし一方、いま望ましい関係を生きられない人が「どうしたらいいか」については、期待できないと感じた(「事業が違う」と
お笑いファン(の一部)の間では、「あの笑いは世間には分からない」「レベルが高い」のようなことがやり取りされていることがある。ほとんど単なる選民意識だとかそういうものなのだが、そういう妙な部分は置いておいて、彼らが一体なにをもって「レベルが高い」としているのか? そこを考えていこうと思う。もちろん、絶対的なレベルの高さなんてものは存在しないわけなので、「なぜレベルが高いのか」ではなく、「どの部分のことをレベルが高いと言っているのか」という部分に着目していく。 と、いうことで、この記事は「お笑いを熱心に見ていない人にとっては、気が付きにくい笑いのポイント」について解説していくものとなります。全てのお笑いに応用できます。 「気持ちを察する」 まず筆頭として上げられるのが、気持ちを察する笑いである。これは、簡単に言えば、「ああ、こいつ今こんな気持ちなんだろうなあ」と言うことを考え、その気持ちを察す
年末年始に住居がない失業者に宿泊場所や食事を提供する東京都の「公設派遣村」で、一部の入所者が就労活動のため都から支給された現金を酒代やたばこ代に使い、施設内で禁止された飲酒などの問題行動を取っていたことが6日、分かった。都はすでに泥酔状態となった男性1人を退所処分にしたほか、悪質な入所者には退所時に支給額と領収書の差額の返金を求める方針。 派遣村は5日、国立オリンピック記念青少年総合センター(東京都渋谷区、4日に閉所)から大田区の都の臨時宿泊施設に移転。都は入所期限の18日までの就労活動用の交通費と昼食代として、入所者1人当たり計2万2千円を支給した(562人、総額約1236万円)。 ところが、多くの入所者が活動費を受け取った直後に近くの小売店で酒やたばこを購入していたことが判明。店員は「朝から1万円札を握りしめた入所者が大勢並んで買い物に来ている。たばこがかなり売れ、酒やスポーツ紙な
最近は、「社会的合意」をめぐる議論がそこまで盛り上がらないせいか、内閣府による世論調査の数字が独り歩きするような状況ではないので「ホッ」としていたのですが、先日の厚生労働委員会での審議でも、「世論調査の結果」に言及されつつ、「脳死は人の死」が国民に受容されつつあることが(A案の提出者を中心に)述べられていました。(厚生労働委員会での審議については、5月30日のエントリーで触れています。) つまり、今回の委員会審議でも論点の一つは、「脳死は人の死」に「社会的合意があるか否か」ということだったと言えるのではないかと思います。 そこで改めて、世論調査の数字から「社会的合意」をどう考えるのかについて、少し考えてみたいと思います。 今回の委員会審議では、とくにA案の提出者から、「脳死は人の死」が国民に受容されつつあることの根拠がいくつか挙げられていました。*1 「おや?」と思ったのは、海外へ渡航して
今日はブログふたつ、ダイエットのブログも合わせると4つも書かなきゃいけないから、さっさと結論を書くよ。 あのね、ブログで「どや顔」は禁止ね。キンシ。 「どや顔」って言うのは吉本系お笑い芸人たちが使ってる言葉。 ウケたときとか自慢のフレーズ飛ばしたときに「どや!(大阪弁で「どうだ」の意味)」と小鼻が膨らんだ表情や、そういう態度のことだ。 このドヤ顔、ブログでやっちゃってる人、かなり多いよ。 特に「頭の良い系」のブログ。 文章にやたら漢字やカタカナが多くて、ひとつの文章が長い。 文末が「のだ」「なのだ」と言い切りで、なんとなく文章がいばっている。 このように「どや顔」の見えてしまうブログは、書いてる本人は気持ちいいけど、実はあんまりウケない。 なんとなく煙たがられてしまう。 やめたほうがいいよ。「どや顔」は。 僕だって人のことは言えない。 過去の発言やブログみたら、もう「どや顔」だらけ。 だか
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