gt_24_o223のブックマーク (2)

  • こーじ@小学校教師のブロ

    子供をいかに愛せるか 最近わかったことがある。授業にこだわりをもつためには条件があるということ。その条件とは、子供のことを大切に思えているかどうかということです。自分のクラスの子に喜んでもらいたい、もっと進んで学習してもらいたいと普通は思うんです。そしてさらにその子達のことを子供が可愛くて可愛いくて仕方がなかったり、ちゃんと成長してほしいという責任感があるかどうかが大切なんです。なんか抽象的なんですが、可愛く思う、ちゃんと成長してほしいとい願うことは子供に対する愛情であり、使命感であると思うのです。それらの思いがないとついつい惰性に流されてしまい、授業を研鑽することが疎かになってしまいます。 子供を好きになれなかった時 過去にボクは子供たちのことをあまり好きになれない時がありました。それには様々な背景がありました。連日のある保護者による理不尽な苦情の電話や連絡帳があったり、自分への信頼を無

    こーじ@小学校教師のブロ
  • バカのバージョンアップをしようという話の本をよんだ - masatoの日記

    通っている美容室の、美容師さんと時折「どんな人が好みなの?」という話になる。しばし言葉を失う。それで、あれこれ考えて、どこか外しているような感覚をおぼえつつ、できるだけ率直に答える。だけど、わかったようなわからないような感じになる。毎回、自分の好みなのにどうしてこうも曖昧なのか、と思う。それで、これからはもっと自分のことを知ろう、などと考える。 さて、千葉雅也氏の『勉強の哲学 来たるべきバカのために』を読んでいたら、「ウマが合う人というのは、あなたの非意味的な『スタイル』に共鳴している人のことだ」といったようなことが書かれていてた。「非意味的」というのは、ざっくりいうと「こだわり」。で、おおっ。そうか、意味じゃなかったんだ。自己のスタイルに共鳴できるかどうかで気が合うかどうかは決まっていたのか。であれば、自分がいつも好ましいと思う人物像を描くためには、まず自分のスタイル、すなわちこだわりを

    バカのバージョンアップをしようという話の本をよんだ - masatoの日記
    gt_24_o223
    gt_24_o223 2017/09/24
    「ウマが合う人というのは、あなたの非意味的な『スタイル』に共鳴している人のことだ」いいですね♪
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