まび @mability #これを見た人は記憶に残った看板を貼れ 「男子トイレは左、女子トイレは右にそれぞれ130mほど進んだところにあります」以外の解釈が難しいんだけど、おそらくは違う意味の標識 pic.twitter.com/3MK8DrXTeK 2022-12-07 20:28:41
![「バットを使った野球は禁止」「罰金または注射します」 #これを見た人は記憶に残った看板を貼れ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ed11d53f0dea4b9a51de1e6cd363f036b9eb5807/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Fa80980ad15f5411d2d0ba5dbe9d57f84-1200x630.png)
逆に、買ったけど微妙だったわ2022も聞いてみたい ぼやかせる範囲で
リンク 共同通信 中古CDを再生プラ資材に ブックオフ、廃棄抑え加工・販売 | 共同通信 中古品の買い取り販売を手がける「ブックオフコーポレーション」(相模原市)は、買い取った後に売れず、廃... tomoyuki yamazaki @yamazaki666 ブックオフは毎年1,700トンのCD・DVDを廃棄していて、2023年から売れないものを潰して再生樹脂“CDプラ”にして売るのだとか。企業として不良在庫を抱えても仕方ないし、握手券を抜いた後のやつとかも多いんだろうけど、この心の痛みは何だろうか。 xtech.nikkei.com/atcl/nxt/colum… 2022-12-14 06:26:21
ちょっと個人的に新鮮な体験が出来たので、それについての経緯と所感を書いてみたいと思います。 以前にも書いたことがありますが、「自分が何を知らないのか」を知るのはとても難しいことです。 なにしろそこには、知識を求める為の「とっかかり」というものがない。知識量ゼロの状態だと、「自分には何が分からないのか」が分かりません。 必然、人に聞こうにもwebで検索しようにも、そもそも「分からないことを解決しよう」という動機自体が発生しません。 「こういうものなんだろう」という自分の知識の範囲内に、人は簡単に安住してしまうのです。 我々は、基本的には、「知っている」ことをスタート地点にして、そこから少しずつ手探りをするような形でしか知識を広げていくことが出来ません。 「知らない」を自発的に、一足飛びに解決する為には、壁を二、三枚超えなくてはいけないのです。 だからこそ、「知らない」をどんどん勝手に埋めてく
リンク 岸田 奈美 鳩との死闘(もうあかんわ日記)|岸田 奈美 毎日だいたい21時更新の「もうあかんわ日記」です。もうあかんことばかり書いていくので、笑ってくれるだけで嬉しいです。日記は無料で読めて、キナリ★マガジン購読者の人は、おまけが読めます。書くことになった経緯はこちらで。 イラストはaynさんに描いてもらいました。 朝8時、弟をバス停に送っていくついでに、梅吉の散歩をしようと玄関を出た。 バサササーッ! ものすごい羽音がして、灰色のでっかいなにかが視界を左から右に横切っていった。腰を抜かすかと思った。 鳩だ。 まただ。まだあいつらが来やがった。 鳩が飛んできた リンク 岸田 奈美 双翼の忘れ形見〜ネットにあいつが絡まった〜(もうあかんわ日記)|岸田 奈美 毎日だいだい21時更新の「もうあかんわ日記」です。もうあかんことばかり書いていくので、笑ってくれるだけで嬉しいです。日記は無料で
「Twitterのタイムラインをごちゃごちゃにする仕事」は本当に実在したのか? 話題の元Twitterエンジニアに聞いた実際にはどういう仕事で、どのようにして導入されることになったのか。タイムラインの「重要度順表示」の導入に関わった、 元Twitterエンジニアのイハラさんにお話を聞きました。 「タイムラインごちゃごちゃにする仕事」で波紋Business Insiderが12月1日に掲載した、「感謝祭の前夜にTwitterをレイオフされた日本人エンジニア」のインタビューが話題になっています(もともとは英語版Business Insiderが11月28日に掲載した記事で、日本版はこれを翻訳したもの)。 インタビューの内容もさることながら、特に注目を集めたのは、インタビューを受けたエンジニアがTwitterで行っていたという「業務内容」でした。 「解雇される前、私はツイッター(Twitter)
こうして言葉の領域が広くなることって本当にいいことなのかな その言葉が指し示す領域が広くなるってことはその言葉が薄くなるってことなんじゃないかな 昔は神といえば、宗教上の神様のことで崇め奉る存在だったけど 今では「すげーやつ」みたいにカジュアルに使われるようになって、神って言葉の威厳は失われたよね 別に肉体的な破壊を伴わないことを「暴力」と表現することは別にいいと思うけど 精神的な痛みの共有は肉体的な痛みの共有よりはるかに難しい 今後、精神的虐待などを暴力と表現していったとして 「子供のころ暴力を振るわれていたんです」と話す相手に対して 肉体的な破壊を伴うものしか「暴力」でなかった時代に比べて その相手に対する感慨は薄れるんじゃないだろうか
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