浮世絵に関心がある方なら、浮世絵がヨーロッパへ輸出する陶磁器の包み紙として使われていたという話を、どこかで聞いた記憶があるのではないでしょうか。それがきっかけとなって、浮世絵の素晴らしさがヨーロッパに伝わるようになった、と。 もう少しちゃんとした説明ですと、フランスの版画家であるフェリックス・ブラックモンが、陶磁器の緩衝材として用いられていた『北斎漫画』をたまたま発見。浮世絵の魅力を仲間たちに伝えたことをきっかけとして、「ジャポニスム」と呼ばれる日本美術ブームが、ヨーロッパで始まったと伝えられています。 浮世絵は、もともと日本において、安い値段で販売される紙屑同然のものでしたが、その芸術的な価値がヨーロッパの人たちによって初めて見出されるようになったという文脈でも、この話はしばしば語られています。 皆さんはこの話を聞いた時、どのような様子をイメージしたでしょうか?現在、陶磁器を持ち運ぶ際、
「誰の日本時代」 [著]洪郁如 七年ほど前、台南のとある村を散策していたら、八十代と思われる老婦人に笑いかけられたので、おばあさんお元気ですか、と挨拶(あいさつ)をした。それまでの経験から、日本からの観光客を歓迎するこの年代の台湾人には、中国語よりは日本語で話しかけるほうが喜ばれると思ったのだ。ところが老婦人は、ニホンゴデキンデキン、と笑う。あたしは台湾語しか喋(しゃべ)れないのよ、と言われてようやく私は、「日本統治期台湾」をめぐる自分の想像力の貧しさを悟った。 一八九五年から一九四五年のこの時期を、台湾では「日本時代(リッブンシーダイ)」と区分する。 この「時代」に生を受け、幼少期・青少年期を過ごした「台湾人」と「『日本語人』は常に等号で結ばれてきた」。とりわけここ日本では、九〇年代以降、日本のメディアにも頻繁に登場した李登輝に代表される、日本統治下の台湾で習得した日本語で流暢(りゅうち
先週から山川菊栄の『覚書 幕末の水戸藩』を読み耽っています。 彼女の水戸藩ものは猛烈に好きで、『おんな二代の記 (東洋文庫 203)』『武家の女性 (岩波文庫 青 162-1)』からはじまって著作集まで買い込んでしまいました。 「天狗さわぎ」を前後する水戸藩内の「水戸イデオロギー」を軸に、烈公=徳川斉昭公や藤田東湖、会沢志斎らの等身大の実像など興味深いエピソードが満載であります。 けれども、山川菊栄の「水戸」三部作が本当に面白いのは、幕末の水戸藩士がどれほど貧乏であったのかについてのリアルな聞き書きと、彼女の軽妙かつ見事な筆致・文体にあります。例えば、下級武士の家では綿入れの綿を百年くらい使い回してどんどんツギをあてながら着てた……とか。こんな話がいくらでも出てくるので、何度読んでもまったく飽きません。 これに比べれば、山本周五郎の『日本婦道記』なんか、所詮は軍国美談に毛が生えたようなもの
差別を糾弾すると「お前も差別してるじゃん」とか言われて面食らったりしますね。批判も暴力も“人を不快にさせるもの=差別“くらいの認識なのかと思います。 https://t.co/eUZSbwTSKK
「有害な男性性」という言葉が精神医学の中で発展してきた歴史を振り返ると、一元的解釈と心理主義的な人間観は親和性が高く、相乗効果的に男性の問題を短絡化・単純化させてしまったように感じる。
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