で、あれを「政治活動」と見做しちゃうのは、多分この話でしょうね。「決まったこと」に巻かれるのは政治活動じゃなくて、反発するのは政治活動、みたいな感覚が、我々の中にあるよね、という。→ https://t.co/dg1WwsWS6X
なぜ自分には恋人がいないのか。恋愛をしたい。セックスをしたい。恋人が欲しい。何気ない会話を女性としてみたい。それができない自分は、どこかに欠陥があるんじゃないか……。 こうした苦悩は、「非モテ」という言葉によって90年代後半から現在までネットを賑わせてきました。 しかし、本当に「非モテ」男性は、モテないから苦しいのでしょうか? 男性が「非モテ」という苦悩を抱くまでの過程を掘り下げ、そして苦悩から抜け出す実践まで男性学の視点から提示した一冊が、西井開さんが著した『「非モテ」からはじめる男性学』です。 今回は、男性性がもたらす問題について自らの経験を内省しつつ真摯に向き合った『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)を昨年夏に刊行した、桃山商事・清田隆之さんを対談相手にお迎えしました。 互いの「非モテ」経験を明かし合うところから、現代の男性が抱える諸問題を語り合いました。 ※8月4日に本屋B&
「真の保守は寛容、リベラルは不寛容だから嫌われる」ってとどのつまり「マイノリティの存在は温情で認める=寛容、人権問題として論じる=不寛容」という謎な言説で、自分は家父長制差別の体制側でハッピーにやってる宣言に過ぎないよね。倫理的な問題措いても、知的にいい加減飽きない?この物言い。
「寛容になれ」なんて主張、私の周辺から聞こえてきたことまずないんだよね。私自身も言ったことないし。「寛容」じゃなくて「公正さ」の問題だと思ってるから。/寛容になれと不寛容に主張 支持広がらぬリベラル勢力、固定客見誤る:朝日新聞デジ… https://t.co/II4oTe697r
アフガニスタン女性の人権の問題を、タリバンと都市で社会活動をする女性の間の関係だけを基準に論じているのではないだろうか。教育と社会活動を夢見ることもできない70%のアフガニスタン女性を助けようとするならば、タリバンにだけ女性の人権を促すことはできないだろう。 7日(現地時間)、タリバンが再び権力を握ったアフガニスタンの首都カブールで、私立大学に通う女性が男性とカーテンで分けられ授業を受けている。タリバンは第1次政権(1996~2001)の時とは異なり、女性の教育は許すが男性と分離した教室を使わなければならず、目だけを出せるニカブを着用しなければならないと明言した。しかし、この日の女性たちは顔全体を出すヒジャブをかぶったまま授業を受けていた=カブール/AFP・聯合ニュース アフガニスタンにおける女性の人権は、タリバン登場の前に問題になった。 1978年に樹立した社会主義政権は、非識字者打破の
「毒ギョーザに抗議するエプロンデモ」、ブログもまだ残ってますね。https://t.co/r1ue9EWVEs 主催者には日本会議系の運動のベテラン女性がいたけれど、あくまでも「主婦」「母」を打ち出して運動を宣伝、広げようとした事… https://t.co/LGR5AbWZe3
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く