松尾芭蕉は俳句を知らなかった? 松尾芭蕉の時代には、「俳句」の言葉は一般的ではなかった。芭蕉が親しんでいたのは俳諧(の連歌)で、俳諧仲間が、決まりに従って句を詠み連ねていくものだった。その中では、発句と呼ばれる一句目が特に注目され、自立性を高めて単独で味わう風潮が生まれてきた。そこに芸術性を意識させたのが松尾芭蕉である。芭蕉はそれを「俳句」とは表現せず、当時の慣習に従って「句」とか「発句(ほっく)」と呼んでいた。 ▶ 松尾芭蕉の年譜 松尾芭蕉とはどんな人? その功績とは 松尾芭蕉は元禄文化を代表する文人で、「俳聖」と呼ばれ、「俳句の祖」と呼ばれることもある。遊戯性の高い俳諧が、芭蕉を境にして芸術性を持つようになり、「発句」単体で味わう機会が増え、俳句へと変化していった。味わい方や理念の変化にも関わらず、芭蕉句は、現代までも絶大な影響力を保ち続けている。 松尾芭蕉の俳風は「蕉風(正風)」と呼