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2021年8月22日のブックマーク (5件)

  • 宮下規久朗『聖母の美術全史 信仰を育んだイメージ』|読書人WEB

    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

  • 『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで』(KADOKAWA/角川学芸出版) - 著者:小川 剛生 - 五味 文彦による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

    戦乱の続いた中世の武家社会では、和歌は必須の教養であり「力」であった。一門や家臣との結束をはかるため、あるいは他国との交渉の場面で、また神仏との交流をはかる意味でも、自らの支配を… 戦乱の続いた中世の武家社会では、和歌は必須の教養であり「力」であった。一門や家臣との結束をはかるため、あるいは他国との交渉の場面で、また神仏との交流をはかる意味でも、自らの支配を確かにするために和歌を使ったのだった。武家政権の発祥地である関東を中心に、鎌倉将軍宗尊親王、室町将軍足利尊氏、江戸城を築いた名将太田道潅、そして今川・武田・北条の戦国大名を取り上げ、武士の実像を探る。 政治史と和歌史の懸け橋となる好著和歌を詠む武士といえば、よく知られているのは源実朝や太田道灌あたりであろうか。実朝は和歌を好み、『百人一首』に取り上げられた将軍であり、道灌は「七重八重花は咲けども」の山吹の歌の故事や、江戸城を作ったとして

    『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで』(KADOKAWA/角川学芸出版) - 著者:小川 剛生 - 五味 文彦による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
    hharunaga
    hharunaga 2021/08/22
    「中世において和歌は武家において極めて重視された…。しかし近世になると一転して和歌は武士に詠まれなくなる」
  • Kyoto University Research Information Repository: <論文>光の痕跡/ 光のエクリチュール : デリダの写真論と死の問題

    hharunaga
    hharunaga 2021/08/22
    「写真を見た際の死の連想が過去の先行者の死、そして将来の我々自身の死についての負債を伴う〈私の死〉への滞留を思わせる」。文:吉松覚。
  • 自分自身を信じて 『挑発する少女小説』 文芸評論家・斎藤美奈子さん(64) :東京新聞 TOKYO Web

    赤毛のアン、若草物語、秘密の花園…。誰もが題名くらいは知っている少女小説の数々。あの名作に書かれていたのは、実はこういうことだったのか! 少女小説を、文芸評論の名手が斬新な視点で見直すと、こんなふうになる。謎解きの鮮やかさに、ワクワクが止まらなくなる。 取り上げたのは世界でロングセラーとなっている九編。斎藤さんは「少女向けの物語といっても、決して読者の子どもをなめていない。だからみんなが夢中になって、百年たっても生き残っている」と語る。 「子ども時代に愛読したを完訳で読み、大人の視点で分析すると、新たな発見があったんです」。たとえば日ではアニメが人気を博した「ハイジ」は、「資主義」で読み解く。執筆されたのは十九世紀末。不毛の山岳地帯と恐れられたアルプスに鉄道が敷かれ、スイスが観光立国へとかじを切った時期に重なる。「ミルクやチーズの味に感激し、青空や山に歓喜するハイジは、いわば観光ガイ

    自分自身を信じて 『挑発する少女小説』 文芸評論家・斎藤美奈子さん(64) :東京新聞 TOKYO Web
  • サボる哲学 労働の未来から逃散せよ 栗原康著:東京新聞 TOKYO Web

    旺盛な著述活動を続けるアナキスト理論家、栗原康が今度打ち出したのは、『サボる哲学』だ。栗原の座右の銘は「はたらかないで、たらふくべたい」。相変わらず、いやますます人をっている! 「サボること」を哲学的に正当化するというのだから。 いかにしてサボるか、サボるとは何か、サボっていいのか。否、われわれは断然サボらねばならぬ。これは冗談ではない、大真面目な話なのだ。なぜ、私たちはしたくないことをするのか。少年少女は進学を意識せねばならず、大学生は就職を意識せねばならず、勤め人は家族を持ち養うことや、老後を意識せねばならない。より良き将来のために、否、もっと正確には、将来の不安のために、いましたいことを犠牲にして、教科書を丸暗記したり、どうでもよい書類の山をつくったりする。そうやって我慢に我慢を重ねればいつか当にしたいことができるのだろうか。ほとんどの人はできない。そうこうしているうちに墓穴に

    サボる哲学 労働の未来から逃散せよ 栗原康著:東京新聞 TOKYO Web