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2013年7月21日のブックマーク (3件)

  • 人質司法 - 桜井昌司『獄外記』

    布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。 日の人権が語られるとき、裁判の長期化、代用監獄、可視化、取調など、色々な問題が語られるが、その中に「人質司法」と呼ばれる問題がある。 警察や検察に逆らって否認すると、いたずらに勾留が長引いて留置場や拘置所に入れられてしまい、裁判が始まる前に長期間拘束の不利益を受けてしまう問題だ。何か月も拘束されれば、勤め人は会社を解雇されようし、家族の暮らしを背負った人は、大変な事態に苦しむことになる。 諸外国では、警察の調べは1日や2日の短時間だし、検察の調べも短期間だ。起訴されて裁判になっても、可能な限りに釈放されて自由な立場で裁判を受けるようになっている。これは、先ず、「有罪判決があるまでは無罪」という、大前提があるからだ。 ところが、日では逮捕されたことが、即、犯人であり、有罪であるか

    人質司法 - 桜井昌司『獄外記』
    hokuto-hei
    hokuto-hei 2013/07/21
    『検察は、被告が否認していることから、「否認するとは不届き!」!と、懲罰的に拘束し続けたのだろうが、裁判所の役割は何なのだ。人権の守り手として検察の行いをチェックしないで、誰が国民の人権を守るのだ。』
  • 選挙には行かなくてもよい

    選挙が近づくと,みんな投票に行けとうるさくなります.しかし選挙権は権利です.行使することもしないこともできるのが権利です.だから投票には行ってもいかなくてもよいのです. こういうことは昔,「投票自由論」という記事にまとめたことがあります.そこで書いたことは繰り返しません. ここでは駒崎弘樹さんが昨年書かれた,「選挙に行かない男と、付き合ってはいけない5つの理由」という記事を採り上げます.あまりに暴論なので当時は論及を控えたのですが,政治学者のなかにもこのような暴論をもてはやす人がいるのを見るにつけ,批判しておく必要を感じました.主張は5点+まとめにわたっているので,それぞれに触れます(なお,当該記事へ寄せられたコメント等の反響はあまりチェックしていないので,重複があるかもしれません). 1. 選挙に行くのを面倒がる人は子どもをどこにも連れて行かないか 根拠がないです.投票に行くことの効用と

    hokuto-hei
    hokuto-hei 2013/07/21
    『デモやロビイングだったり,政策提言や言論活動だったり』や、その他の政治活動している人は、だいたい選挙に行くんじゃないの。
  • 『科学を語るとはどういうことか:科学者、哲学者にモノ申す』[続] - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek

    須藤靖・伊勢田哲治 (2013年6月30日刊行,河出書房新社[河出ブックス・057],東京,301 pp., 体価格1,500円,ISBN:978-4-309-62457-0 → 目次|版元ページ) 【書評】※Copyright 2013 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved 科学と科学哲学との重層的すれちがい(続) ← 「科学と科学哲学との重層的すれちがい」(2013年7月19日) 書を読んでひとつ自覚したのは,科学者側の “代表” として登場する物理学者・須藤靖さんの発言のひとつひとつにワタクシ自身があまり同感できないという点だった.とりわけ,[科学]哲学的な問題設定に対する彼の基姿勢には相当な違和感が残る.ワタクシの身近にもしこういう科学者がいたとしたら “いますぐ体育館のウラに来い” 的レベルの違和感だ.ワタクシが推測するに,伊勢田哲

    『科学を語るとはどういうことか:科学者、哲学者にモノ申す』[続] - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek
    hokuto-hei
    hokuto-hei 2013/07/21
    『生物体系学が生物学哲学と“近距離”で相互に関わりあえたのは,ローカルな科学としての体系学が取り組んできたテーマがもともと哲学的だったから』単に生物体系学の歴史が浅くて哲学と未分化だったからでしょ