2016年12月3日のブックマーク (2件)

  • 「喋らない人」について

    なぜ喋らないのか考えられる原因を列挙しました ・人との交流に興味がない ・特定の人達とだけ喋らればいいと思っている。相性が悪い人と無理に話す必要は無いと思っている ・声を出すことや会話が怖い、緊張する。傷つきたくない ・たまたま疲れているか気が滅入っている ・交流には興味あるが話題が思い付かない。もしくは頭の回転が遅い ・その場の話題に興味が無いか無知である ・完璧主義。不完全な発言をするくらいだったら無言の方がいい ・必要な事以外は喋らないというポリシーがある ・聞き専である ・趣味や思考回路が相当変わっている為、普通の人と話題や会話のスタイルが合わないから交流を諦めている(早口で論理的にまくし立ててしまう為、普段は話さないなど) ・自分が会話に入っていくことが迷惑になると考えている、または自分が嫌われていると思って萎縮している。 ・会話の相手を嫌いか、怖いか、興味がないか、関係がこじれ

    「喋らない人」について
    homarara
    homarara 2016/12/03
    バイツァ・ダストが取り憑いている
  • 刃傷事件後「痛み軽い」=吉良上野介と面談-西本願寺で史料発見・京都:時事ドットコム

    刃傷事件後「痛み軽い」=吉良上野介と面談-西願寺で史料発見・京都 西願寺が保存する史料から発見された吉良上野介と寺側の親交を示す記録=11月29日、京都市下京区 江戸城・松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に切り付けた「忠臣蔵」の刃傷事件の後、吉良の様子を伝える記録が西願寺(京都市下京区)の所蔵史料から見つかった。吉良について「痛みも軽く、事も変わらない」と記されていた。西願寺によると、事件直後の吉良の様子を伝える史料は極めて珍しいという。  史料は「江戸江遣書状留帳(えどへつかわすしょじょうのとどめちょう)」。西願寺から江戸の築地願寺に出した手紙の内容を記録したもので、刃傷事件から赤穂浪士の討ち入りまで、2年足らずの吉良と寺側のやりとりが含まれていた。  史料によると、元禄14(1701)年3月14日の刃傷事件後、吉良家と親交のあった西願寺は江戸の関係者らに、見舞いや原因究明

    刃傷事件後「痛み軽い」=吉良上野介と面談-西本願寺で史料発見・京都:時事ドットコム
    homarara
    homarara 2016/12/03
    虚構新聞じゃなかった。この手の記事を「虚構新聞もどき」とでも呼ぼうか・・・