2015年6月27日のブックマーク (1件)

  • 原発は倫理的存在か(東浩紀)|ポリタス 原発“新設”の是非

    原発をめぐる議論で「倫理」がなぜ問われるかといえば、それは使用済み核燃料の処理技術が確立されていないからである。「トイレのないマンション」とも揶揄されるように、現在の原発は、使用済み燃料の処理を、長期間保管しその危険性が自然に減衰するのを待つか、あるいは後世の技術開発の可能性に委ねることで成立している。いずれにせよ、いまここで処理できないものを、いつかだれかがなんとかしてくれるという「他人任せ」の態度のうえで成立しているのは疑問の余地がない。 面倒なことは他人に任せ、自分だけが利得を得る。そのような態度が「よい」ことであるか 面倒なことは他人に任せ、自分だけが利得を得る。そのような態度が「よい」ことであるかどうか。原発の倫理的問題は結局はそこに集約される。日では福島第一原発事故を機にはじめて関心を向けたひとが多いが(筆者自身もそのひとりだが)、この問題は質的に事故の可能性とは関係ない。

    原発は倫理的存在か(東浩紀)|ポリタス 原発“新設”の是非
    ji-runa
    ji-runa 2015/06/27
    震災以降、原発の短所が噴出したのは周知の事実。他方、原発が必要とする理由には政府や事業者から供給安定性、経済性、環境保全と安全(3E+S)が挙がる。3E+Sが短所を上回るほどか、検証が足りないのが現状と思った。