「実は事件が起きる7年前、兄は都内でドイツ人女性の家に侵入して、襲おうとしたことがあったんです。この時は未遂に終わって、父がお金を払って示談が成立したので事件にはなりませんでした。この時の記憶があったので、『またやったな』と思いました」(純さん) ほどなくして、自宅にはマスコミからの電話が殺到する。父は当時、ある大企業の社長をつとめていた。そのこともまた、世間の関心を誘うことになった。 一方、大手広告会社に勤務していた純さんは、企業などが不祥事を起こしたときの対応マニュアルを理解していた。個別に取材対応をすれば、記者から際限なく質問が飛んでくる。そこで、自宅のリビングに記者を集め、緊急の記者会見を開くことにした。 「たしか、二十数人の記者が集まって父が対応しました。その間、私は母に『大丈夫だよ』となぐさめてました。記者がいなくなった後、父は秘書を呼んでパリ行きの航空券を手配して現地に向かい