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増田と家族に関するkana321のブックマーク (95)

  • 父のくそぽえむ

    父は還暦近いが思春期の少年少女並みに夢見がちで、情緒不安定な性質である。加えて頑固で寂しがりときた。要するに現代社会では大変生きにくい。 常は酒に飲まれたり、風呂トイレで中島みゆきのファイトや吉田拓郎の今日までそして明日からを熱唱したり、あるいは衣装ケースの奥底に二重底で隠してある女教師もののAVを眺めては心の均衡を保っているものの、ストレスがある一定のラインを越えるとSOS信号よろしく私の携帯のメールアドレスへ謎の散文を送ってくる。実家にいる母や妹には一度も送ったことがないという。「うちのは芸術を理解しない。」知るかよ! 散文の形式は多様である。相田みつを調、ラーメン屋の格言風、難解な言い回しをしたかと思えばストレートにI LOVE YOU。冷蔵庫で真っ茶色になった馬肉を見つけた寂しさから黄昏流星群を読んで死にたくなった切なさまで、表現豊かに語られる父の詩的世界をはじめの頃は読んですぐ

    父のくそぽえむ
  • 親として弱すぎる

    私は母が病気で倒れた時に1年毎日家で料理を作らされ貶され倒して、最終的には料理をしたら吐気がこみ上げてえづくようになって、味覚がおかしくなったのか得意料理ですら失敗しまともな味付けも出来なくなって料理から開放された。 胸が引き裂かれる思いで泣きながら母にどれだけ辛かったか一言でいいから謝って欲しいと求めたら鼻で笑われ、癒すのを諦めて忘れるのに徹する事にした。 思い出すだけで傷口を開くような痛みがあって涙が出るし誰にも話せていない。 夫は美味しいありがとうと笑顔でべてくれる人で、失敗して落ち込んでても何で?美味しいよと笑ってくれて、結婚して料理が楽しくなった。 子供も出来て幸せだったが、今日3歳の子がべるのを嫌がっておかずを私の皿に入れてきたりしたので「ママのご飯がまずいって言うの?」と言ってしまった「まずい!!」子供が言った。 我が家はまずいという単語が出ないせいか、子供がまずいを勘違

    親として弱すぎる
  • 53歳独身だけどやる事なくて辛い

    最寄り駅の立ち飲みやで軽く晩酌してつまみで腹を満たし8時頃帰宅した。 もう既にやる事が無い。 一時小説を読んでいたが目が疲れるのでやめた。 両親は共に他界してる。 当にやる事がなくて暇だ。 会社ではそこそこのポジションにいて、それなりに給料を貰っているが使い道が無い。 同級生はほぼ所帯を持っているので平日の夜に呼び出すなんて事は出来ない。 そもそも家庭がある人間と話が合わなくなって来た。 子供の教育や進学の話なんぞ分かるはずが無い。 私が死ぬまであと40年程ある事に絶望してる。 毎日仕事して帰宅して起きてまた仕事しての繰り返し。 週末は当に何をしていいか分からない。 趣味を持てなんて言われても正直めんどくさいしこの歳から何をすればいいんだよって思う。 一時寂しくてキャバクラに行ってた時期が合ったが相手が自分の金の事しか見てない事が分かりやめた。 結婚しておけば良かった。 少なくとも今よ

    53歳独身だけどやる事なくて辛い
  • 最近結婚しないのが当たり前な風潮になってるけど

    あれ嘘だからな?真に受けるなよ? まぁ信じてる奴は少ないだろうけど、一部のネット民が当に信じてそうだから忠告しとく。 みんな経験あると思うけど、テスト前に「勉強してないから辛いわー」とか言ってた奴がいい点取ってるのを何度も見てるだろ? あれと一緒だよ。 結婚しないのが当たり前な訳ないだろ。 殆どの人間がそれなりの歳になれば結婚するんだよ。 お前50歳になって仕事終わってファミレスで一人でミラノ風ドリアうの? 何のホラーだよ。 まぁ若いうちはいいよ。 結婚してない人間も多いから でも歳取ってから独り者だと地獄だぞ? 世間からは冷たい目で見られ、親戚からは変態扱い。 話の合う友達もいなくなり最後は孤独に一人で死ぬ。 自分の為に生きるのなんて若いうちだけ。 そもそもインフラ使ってる以上子を産み次へ繋ぐなんてのは当たり前の事なんだよ。 その辺理解出来てない自分勝手で幼稚な考えしてる一部の人間に

    最近結婚しないのが当たり前な風潮になってるけど
  • 嫁がありがとうを言わない

    まず、こちらからの提案は却下されるのがデフォルトだ 先日嫁の誕生日だったのだがどうやら体調が良くないらしい なにかべたいものがあるか聞いても、体調が悪いから スパークリング買ってこようかと聞いても、今は胃が痛いから 先日がほしいと言っていたのでどこに買いに行こうかと聞いても、出会えるかわからないから決められない 以外にほしいものがないか聞いたら冬用のかばんというのでどこで買えるか聞いたら、それもわからない いざ誕生日を迎えて体調を聞いてみると悪く無いというので、ひとまず嫁の好物もスパークリングも用意しておいたからといって並べてみてもだまって手を付けるだけ クリスマスは家族で事に出かけたのだけど、いつもは外の料金は渡している生活費から嫁が払うのだがこの日はタイミングもあってひとまずぼくが払った 帰り道や家に帰ってからなど料理やサービスの文句は言うのだが一向にお金をくれる気配もないし

    嫁がありがとうを言わない
  • 父は老害だったわけではなくもともと勝手な人間だったのを、母が許していただけ

    自分が仕事をしてる時は 母が仕事の話を聞かないのをいつも文句言ってた。 仕事の話って言っても愚痴はばかりだったが 家族なのに、話を聞くのは義務だと。 家事だけやってればいいと思うのは甘えだ。 誰がわせてやってると云々という極めて不愉快な愚痴を散々聞かされた。 だが、自分がクビになって、母が働くようになった時、 父は家事もろくにしないし 母の仕事の話を聞こうとはせず、 愚痴を少しでも言おうものなら 仕事させてもらえるだけありがたいと思え。 甘えるなみたいなことをいう。 自分が働いてた時はそんな愚痴は一つも言わなかったと記憶の捏造までしてる。 私はこれにとでもムカついて父とよく喧嘩していたが、 ある時母が言った。 お父さんは一生懸命働いてて、仕事してることが誇りだったんだから それが今なくなって辛くて当たり散らしてるだけだよ。 お父さんが正しいとは言わないけど、お父さんに張りあう必要はないよ

    父は老害だったわけではなくもともと勝手な人間だったのを、母が許していただけ
  • 30歳をすぎました(+追記)

    めちゃくちゃ長い上に主題がないです。々と半生振り返ってる自分語りで人のせいにしてる愚痴。 30歳は、彼氏いない歴=年齢、友だちも少ない、内向的、デブとまだ詰んでるとは言わなくても結構揃ってゆるやかに袋小路に一直線に歩いている感じの誕生日でした。 今年前厄ですよ。厄祓いは済ませました。担げる験は担ぐタイプ。 ほんでなんかついでにずっとモヤモヤしている愚痴を垂れ流してみようかなと思ったので取り留めもなく垂れ流します。 誰にも相談できないから誰か見知らぬ人にでも、「あんたの親はちょっとズレてる」と言って欲しい、要はそんな話です。 私は非常に他人の目が怖いです。 高校卒業くらいまでは、友人を作るのすら「この人達は私のいないところで『あいつちょっと優しくしたら友だちぶってすごいウザいwww』とか笑われているんじゃないか」と疑心暗鬼で生活していました。 まあこれは、大学に入った頃に「他人はそこまで私

    30歳をすぎました(+追記)
  • 妻が不倫している

    まあ、こういう話を書くと色々と叩く人もいると思うんだけど、とりあえず書く。ちなみに、結論はもう出ていて、離婚もしないし特に相手の男に一泡吹かせるわけでもないし、かと言ってを問い詰めて反省させ、ラブラブな日々が訪れるわけでもない。ただ淡々と、いつものように子どもたちと一緒に大変なこともあるけど仲良く平和な家庭の生活が続いていくだけだ。キッチンにはハイライトとウイスキーグラス。どこにでもあるような家族の風景。友達のようでいて、他人のように遠い。 慣れっこではあるはずなんだけどどうも意外とダメージをらっているらしく、思わず「不倫」とかでググって気を紛らわせようとしている自分がいる。だが、出てくるのは「浮気を発見しました。まずは証拠を押さえましょう」とか、「ホテルに乗り込んだほうが良いのでしょうか」的な問答のそびえ立つ剱岳のごとき小町、もしくは「完全勝利で慰謝料がっぽりワロタwww」みたい

  • こういう話を書けばひと様に馬鹿と思われることを承知してはいるのだが、..

    こういう話を書けばひと様に馬鹿と思われることを承知してはいるのだが、今日とてもいいことがあったので記録したい。 明け方、夫がトイレに行ったので私もぼんやりと目を覚ました。とはいえまだまだ眠いので寝がえりを打ってすぐに寝ようとしたのだが、そこに夫が戻ってきた。 ふらふらしながら布団にもぐりこむと夫は後ろから私の両肩を掴み、呂律も回らない状態で何かを呟き始めた。寝ぼけているようだ。 この人が寝言なんて珍しいな、と思いながら私は耳を澄ました。 「つま、がんばれ、つま、がんばれ。つま、だいじ。つま、とてもだいじ。いいつま。とてもいいつま。つま、がんばれ、ちょうがんばれ」 私はびっくりしてしまって、しばらく身動きもできなかった。 やっと動けるようになってから夫の手に触れて「ありがとう」と言おうとしたが、声がうまく出せなくてかすれてしまったし、夫は眠りの中に戻ってしまった。 私はなんだか急に涙が出てき

    こういう話を書けばひと様に馬鹿と思われることを承知してはいるのだが、..
  • 弟くん、弟くんみてみて!

    可愛いでしょ! 「なにそれ」 ピカチュウのパーカーだよ! ピカピカー! 「ふーん」 ピカピカ? 「可愛いじゃん」 むきゅー! 「ピカじゃないのかよ」 びっくりした、弟くんにそんなこと言われると恥ずかしいよお。 「なんだよ」 だって弟くんってクールで格好いいし。 「俺だってたまには、素直になるんだよ」 むきゅー。 「だから、ピカじゃないのかよ」 ぴ、ぴかー。 そういって、弟くんは僕のことをよしよししてくれました。 はぴはぴはっぴーす。

    弟くん、弟くんみてみて!
  • だめかもしれない

    仕事もひと段落して、ビール飲んで酔ったから書く。 今まで迷ったことはあったけど、それは複数の選択肢でどれにするのかという悩みであって、今とは違う。 今はどう生きればいいのかわからない が死んだ。お腹の子も一緒に死んだ。 あまりに突然で、朝見送ったときはつわりはあったけれども、元気だったのに、死んだ。 病院に行ったときには、もうすでに息絶えていた。 薄目を開いてこっちを見ている。 泣き叫ぶことしかできなかった。 当に、何もかも信じられなかった。 が死んだことも、自分がなんでここで泣いているのかもわからなかった。 嘘であって欲しかった。 当に嘘であって欲しかった。 は子供が生まれるのを心底楽しみにしていた。 ありがちなのかもしれないけれども、生まれる前から男の子でも女の子でもいいように二つ名前を考えた。 女の子だったら眞子はどうかな? あと、男の子だったら春馬は? と。 眞子はいい

    だめかもしれない
  • 絶対に女を召使にしない男って実在するの?

    自分のパートナーの女性に対する敬意を忘れずに持ち続けられる人なんて、テレビや雑誌やネットの中の限られたインテリだけなんだろうか。どこまでいっても相手が他人であることを忘れずにいてくれる男性なんて、当にこの世に存在するんだろうか。数年前に分かれた彼氏の言葉が今でも忘れられない。それはよくある光景だったのかもしれない。彼氏の家でまったりしていた時、キッチンに居た私に向かって、彼は甘えた声で言った。「お茶ぁ~」 (=お茶を淹れてほしい)その瞬間、忘れていた怒りと憎しみと殺意がよみがえった。私はかつて物心ついた頃から毒家族の奴隷として使役されていた。全ては命令形て、従わなければ暴力が待っていた。そんなわけで、男性の身の回りをさせられることには過剰に反応してしまう。お茶、と言った彼に対しては何とか平静を装うのが精一杯だった。その後べつの理由で彼とは別れた。 管見ながら、どうも一部の男性は女性と親し

  • 親が離婚したけど大変

    親が離婚したけど幸せ http://anond.hatelabo.jp/20140711182356 元エントリの子は母親に大事にされていて幸せそうで嬉しい限りだけど、不幸な子どもが増えないように離婚で 失敗したであろう例も書いておこうと思う。 まず、私の家庭の場合も父親の浮気が原因になっている。とは言っても母はヒステリック持ちだったので 同情する気持ちもある。そのヒステリックも不満があるから起こるわけで、 とにかく家庭が全てにおいてうまく行っていなかった。お互い歩み寄ることは一切なかったし、 私は冷めた子供だったので一生懸命仲を取り持つようなことはあまりしなかった。 埋蔵金事件そんな中起こったのが「埋蔵金事件」である。父は歩合制の営業マンだったので収入は安定してなかったが、 それでも物がまだ売れる時代だったし、何より父は営業マンとして優秀だった。 その父の給料に低迷が続いており、「ひょっ

    親が離婚したけど大変
  • 親が離婚したけど幸せ

    私が10歳のときに両親が離婚したけど、ふつうに幸せに育った。離婚の主な原因は父の浮気。あとは嫁姑関係のいざこざとか、育児に関する意見のい違いとかもあったと思う。6歳くらいのときから離婚するかしないかで揉めてて、4年かけてやったと離婚した。ネットには「こどものために離婚しない」って人も多くいるみたいだけど両親が離婚しても別に不幸じゃなかったよ、っていう人間がいることも知って欲しいな〜と思ったから、両親が離婚したことで幸せに感じたこととかを書いてく。●両親の喧嘩を見なくてすむようになった。最初に離婚しようか、と言い出してから実際に離婚するまで数年かかっていたので、その期間は当に苦痛だった。母のヒステリックな泣き声や、父の怒鳴り声をきくのは当にストレスだった。離婚してからは母子家庭で、母は泣かなくなったし月1で会う父はいつも機嫌よくやさしい父だったので、離婚してからのほうが両親を好きになれ

  • 独身女性と母親が分かり合えない理由について考えた

    独身のアラサー女性で母親との関係が上手くいかないことが多いのは、 娘は「女性同士」として母親に接し、 母親は「子供」として娘に接しているからではないだろうか。 独身のアラサー女性は、経済的に独立していながら、まだ家族の一員であるという立場だ。 経済的に独立しているから、娘は母親に「女性同士」として接しようとする。 しかし家族の一員なのだから、母親は娘を「子供」としてあつかう。 大事に思っているがゆえに、母親をむげにはできない娘はこのギャップに苦しむことになる。 結婚してひとつの所帯を持った時、母親にとって娘だった女性は「よそのお嫁さん」になる。 もう「うちの子」扱いするわけにはいかない。 子供を産んだ時、母親にとってよそのお嫁さんだった女性は「年下のお母さん」になる。 立場としてはもう対等だ。 私はほかでもない独身のアラサー女性だが、同じ立場の友人たちが母親との関係に苦しむのをよく耳にする

    独身女性と母親が分かり合えない理由について考えた
  • 手つないでいいなあ

    と手をつないで歩いてたら小学校低学年の女子が、 「見て見て いいな〜 手つないで歩いてるう。」 って言ってた。 は若年性認知症。 手をつないでるんじゃない。 引っ張ってたんだ。 手をつないでないと転んじゃうの。 手をつないでないとどっか行っちゃうの。 手をつないでないと何でもべちゃうの。 つないでないと俺のこと忘れちゃうから。 だからずっと手を引っ張ってるんだ。 いいでしょ。

    手つないでいいなあ
  • 妻が中絶するまで

    まさか自分がこんなことをさせる側になるとは思わなかった。 ・経緯 結婚前から結婚後数年はセックスの頻度も多いほうだったと思う。最近は回数は減ったものの、週に1回以上はしていた。コンドームは射精の時に使うだけで、挿入は生でするのが基だった。(自分の勃起時間が短いので、コンドーム装着中に萎えてしまうことが多く、ついついそのまま挿入してしまっていた) それでも妊娠することはなく、お互いに「不妊なのではないか?」と思うほどであり、ここに油断があった。あるとき我慢出来ず、中で出してしまった。 ・妊娠発覚から中絶決断まで から生理が遅れていて、検査薬を使ったところ反応が出たことを聞く。驚いたが、父親になることを覚悟した。しかしは中絶を希望した。理由は二つ。現状では仕事との両立が難しく、退職も簡単にはできない状況だということ。また準備した上ではない妊娠では、精神的及び肉体的な負担を考慮しておらず、

    妻が中絶するまで
  • 「お義母さんに貴方から言ってほしいことがある」と、妻に言われた。

    共働き。子供は3歳。が復職してもう1年強になる。 夫婦とも夜が遅くなりがちな仕事のため、定期的に私の母に来てもらっている。 母はもう退職しているが、昔はフルタイムで働いており、「嫁」や「家内」といった呼称を、 女が家庭にいることを前提にしていると言って、何よりも嫌っていた。 私とが、毎日残業で遅くなるのに対しても、仕事をしているから当然だといい、 夜10時を超える日でも、いつも楽しそうに子供(孫)の面倒を見てくれている。 平仮名を教えたりもしてくれているようだ。子供も「ばあば、ばあば」となついている。 も、母のそのような姿勢に感謝・共感してくれているようで、両者の関係は必ずしも悪くはない。 私が長期出張で不在にしている間も、子供と3人で事などして過ごしてくれている。 姑・嫁の対立関係は、我が家には関係ない。そう思っていた。 しかしある日。が深刻な顔で、母にどうしても言ってほしいこ

    「お義母さんに貴方から言ってほしいことがある」と、妻に言われた。
  • 娘が結婚したいと言い出した(追記)

    5/28→ anond:20140528080243 しかも東京の、10も上の男と。 同居している娘は今年で25になる。 地元に戻って来る約束で大学に進学させた。 地元で働きはじめて3年目になる。 娘を大学に行かせるため、金も借りたし汗水垂らして働いた。 その一方で、娘は男作りしていたわけだ。付き合いはじめて6年目らしい。 そういえば、娘は就職活動のときも東京に行きたいと言った。 男のために娘は俺ととの約束を破ろうとした。同じ立場におかれたら誰だって怒るだろ? 娘は最終的にわかってくれたと思っていたんだ。それなのに今、また東京に行きたいと。 しかも結婚したいと。 娘が言うには、地元に戻ったのは仕方なくだった、こちらで働くのは苦痛だった、 客は高齢者が多いが罵声を浴びせられることも多く恐怖感が強くなった、職場で過呼吸を起こすようになった、 信頼できる人のそばに行きたい、ということだった。泣

    娘が結婚したいと言い出した(追記)
  • ブラック職場から転職したら親に暴言吐かれた

    既婚、子無しだがあまりに仕事がキツかったので移動願を出した。 毎日夜十二時近くまで働かされ、ホワイトカラーなんとやらで残業代は六万円程度しか出ない。 一応休みは週休2日で連休もあったけど、いくらなんでも深夜残業が続くのはキツイ。 体調も崩し気味になってきたし、心療内科の人にもぎりぎり危険水域と言われたので人事部に駆け込んで、ホワイトカラーなんとやらがない部署に転勤させてもらった。 表向きは体調不良ということで。 新しく着任したところは残業代も働いた分きちんとつくし、遅くとも夜九時には家につく。 仕事も職場の人にも恵まれて体調もよくなってきた。 しかし転勤した旨親に報告したら雷が落ちた。 「お前は無能だ」 「左遷されたくせに、喜んでるとはなんてやつだ」 「そんな出世街道から落ちるような社会人になるために大学まで行かせたんじゃない」 体調を崩していて辛かったこともつたえていたのにこんなことを言

    ブラック職場から転職したら親に暴言吐かれた