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増田と批評に関するkana321のブックマーク (15)

  • 一刀両断型論客の没落

    ちきりん女史の評判が悪い。 ここ2年ほどで、永らく切れ味の鋭いテキストで人気を博してきたブロガーの権威失墜が目につく。 いろいろ理由があるとおもうけれども、その一刀両断型のレトリックがあまりにもくりかえしつかわれたが故に 彼らが何をいっても「既視感」が醸成されてきたがゆえではなかろうか。 一度そういう感覚を得てしまうと、また同じ構造のテキストをみると「もうその手には乗らない」と身構えてしまうし反感も感じてしまうのだろう。 論客に対する信頼の担保になるのは、ロジカルな切れ味ではなく、最後には「テキストに倫理感が通底しているか」というところに尽きるとおもう。 倫理感がベースにない論客はもう賞味期限が切れたのだ。ひろゆき氏とか池田信夫とか(同列に扱うのはどうかと思うがイケダ某とか) 山一郎氏がまだ健在なのは、根っこに正義感があるからだ。 ロジカルシンキング等を駆使した一刀両断的な言説はもうオワ

    一刀両断型論客の没落
  • はるしにゃん君について

    はるしにゃん君がセクハラやら暴言やらで話題になっている。長らく彼をヲチしてきた者として、これから彼をヲチする者のために、彼の人物像を紹介するよ。 殻辺(@hallucinyan)さん | Twitter https://twitter.com/hallucinyan もともと彼は立命館の経済だかに通っていたアイマス好きのオタクで、東浩紀や宮台真司への憧れを募らせながら、ゲンロン界隈に溶け込もうとがんばっていた。そういえば昔はハルシナと名乗っていたな。 むりゃかみゆうとは (ムリャカミユウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%80%E3%82%8A%E3%82%83%E3%81%8B%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%86 むりゃかみゆう@非公式(@muryakamiyuu)さん | Twitter http

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  • やまだないと福田里香の「男には大島弓子は分からない」発言の悲しさ

    私は男性の大島弓子ファンです。最近、福田里香・藤由香里・やまだないと著の『大島弓子にあこがれて』(ブックマン社)というを読んだのですが、収録されているやまだないとと福田里香の対談にあった以下の内容を目にしてとても悲しい気持ちになりました: やまだ「男の人は大島弓子をわかりたがる」よね(笑)。 (略) やまだ「まあ、その言葉のあとに、『少女にうまれなかったんだからあきらめな』ってのが続くんだけど(笑)。」 (略) やまだ「私は、男の人が大島弓子をわかりたがるのはね、大島先生に対抗意識をもっているからだと常々思っているのです。」 福田「なんか、男の人の逆鱗じゃないけど、何かに触れちゃってるってこと?」 やまだ「あれだよ。「君が夢中な大島弓子より、僕は君のことをわかってる」みたいな、「ほら、君って、こういうことを考えているだろう?」「僕が当のことを教えてあげよう」って。ああ、大きなお世話(

    やまだないと福田里香の「男には大島弓子は分からない」発言の悲しさ
  • 匿名ダイアリーの公開質問へのお答え - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

    匿名ダイアリーの公開質問にお答えします。 http://anond.hatelabo.jp/20140629111911?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter ====== 『時計じかけのオレンジ』におけるキューブリックの「自由意思」について http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/5.html すみません。 キューブリックはちゃんと「『時計じかけのオレンジ』は自由意志についての映画だ」と言っていますが、別のインタビューでした。 http://www.visual-memory.co.uk/amk/doc/interview.aco.html 「キューブリック この映画(時計じかけのオレンジ)の中心にあるのは自由意志についての問いに他ならない。善悪を自分で選ぶことができなければ人間性は失われてしまうのでは? タイ

    匿名ダイアリーの公開質問へのお答え - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
  • 前略、元ラノベ業界の人より

    『ラノベに流行がない時代がやってきました http://anond.hatelabo.jp/20140603210933』の記事や、ライトノベル全体の発行部数の減少、大手ライトノベル新人賞の投稿数大幅減というニュースを目にし、気分任せにこの文章を書いてます。(こういった批評じみた文章は書き慣れていないため、散らかった内容になってしまうかもしれません) まず私のことを手短に紹介させていただきますと、出版社の人間としてライトノベル業界にそれなりの年月携わっておりました。 具体的にどういう役職だったのか、いつからいつまで業界にいたのか、は身元が割れるのが怖いので明らかにできませんが、90年代に一世を風靡した作家さんとも00年代から現在に至るまで活躍されている作家さんたちとも交流があったとは記しておきましょう。 そんな元業界人の私には、今現在のライトノベル業界は窮屈で、進むべき方角を見失いかけてい

    前略、元ラノベ業界の人より
  • マスダ80年代女性アイドル論~総論

    80年代女性アイドル格付 マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論 マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論 マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論 マスダ80年代女性アイドル論~インターバル マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子論 マスダ80年代女性アイドル論~南野陽子論 マスダ80年代女性アイドル論~斉藤由貴論 こんにちは。8月後半からはてな匿名ダイアリーで80年代女性アイドル論を連投したマスダです。この総論では、最初にお知らせ、そしてコメントに対する返答、最後に80年代女性アイドル歴史性の話をします。 お知らせと言っても大した話ではなくて、記事をまとめる意味合いからも、ブログを開設しました、という話です。 はなぶさときいちブログ です。 先日読んだ、 http://anond.hatelabo.jp/20130920220312 こちらの記事に共感します。例に出されていた

    マスダ80年代女性アイドル論~総論
  • 一生、一人でいい。

    何が一番辛いって、自分の感受性に嘘を吐いて生きることだと思う。感情には嘘が付ける。でも感受性って、それまでの人生で自分が見たり聞いたものの積み重ねで出来ている。理解されなくてもいい。どうか放っておいて欲しい。なのにそれを否定されると、私は全てがどうでも良くなる。それまで何ともなくても、一気に波が引いたように冷める。そうして、心が冷えていく。 私が人付き合いを厭う一番の理由はそれだ。人との関わり合いでは、必ずどちらかが少なからず我慢しなければならない。私は、我慢が嫌いだ。我儘なんだと思う。他人を振り回す程の勇気もない。だから一人でいるのに、時々興味位で近付いてくる人は必ずいる。そうして好き勝手に私を批評して利用して、私はそれに振り回される。 大して良いと思わないものを賞賛して、聞きたくもない話に耳を傾け、好きでもない他人に媚び諂う時に、最高に魂が抉れる。人生は限られてる。不快な思いは、なる

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  • [じ] やらおんの階級意識について考えてみた

    やらおんが人気である根的な理由について考えてみた。 特にアニメ部分に関してはほとんど同じ水準にある萌えオタニュース速報とどうしてこんなに差が空いてるか、は興味深い。 結論を先に書くと、私が思ったのはやらおんって階級意識が明確だよねってこと。そして、一番人数が多い層の人間が一番優越感を感じられる仕組みになってること。 そして、その仕組みの結果としてやらおんでは祭りが発生する。萌えおたニュース速報では発生しない。この差は大きい。 発端は、批評家たちに対しての反発だろう。 こいつらアニメにとって何もプラスの貢献をしなかったよね、むしろ存在自体がマイナスだよねってくらいの嫌悪感を感じる。 同時に、技術とか能力ないけどアニメについて語りたいって層を大歓迎してるというのも感じる。 やらおんでは、アニメへの貢献度に対する序列が徹底されてる。 えらいのは、作ってる人と声優さん。それから買ってる人。ちょっ

    [じ] やらおんの階級意識について考えてみた
  • どうしてみんな松本人志が映画を作っていると勘違いしているのだろう

    最新作「R100」について、いわゆる松信者、松人志の初期の天才性を高く評価している人ほど酷評をしているようだ。 わたしも松の天才性を認めるにはやぶさかではないし、今でもその根的な特異な才能は初期のころとそれほど変わってはいないのだと思う。 なのに何故今は往年の信者にすら見放されているのか。 彼にとっての不幸は、キャリアの初期において来ならば理解困難なそのユニークな感性が浜田という相方の存在により広く「革命的に面白い」と認識されてしまったことにあるのではないか。 彼の特異性は、その驚異的なまでの無知さにある。 ベストセラー「遺書」を読んだことがあるかたはわかると思うが、彼は全くと言っていいほど「引用」「参照」ということをしないし、そもそも何かを学ぶという意識が皆無なのである。 彼が面白いと思うこと、新たに生み出しているギャグというのは、全て彼自身が見ている範囲、彼自身のみから考えら

    どうしてみんな松本人志が映画を作っていると勘違いしているのだろう
  • マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論

    これまでの記事。 80年代女性アイドル格付 マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論 マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論 こんにちは。80年代女性アイドル格付のマスダです。 さて、今日は小泉今日子の話です。と言いながらいきなり関係のない話をしますが、松田聖子を聖子、中森明菜を明菜と呼ぶのに何ら抵抗もなく違和感もないのに対し、それと同じニュアンスで小泉今日子を今日子、薬師丸ひろ子をひろ子とは呼べません。私は聖子と明菜は別格だと述べましたが、これもその一例です。聖子と明菜は、略称として聖子、明菜と呼ぶことが定着している、それくらい広範囲にわたって言及されてきたんだということが分かります。 小泉今日子は愛称がキョンキョンで自称がコイズミでした。愛称で呼ぶのも距離が近すぎるので、これ以降のアイドルについては姓で呼びます。 小泉のことを書こうとして数日、多分、私の人生で初めて彼女について深く考

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  • 『ガッチャマンクラウズ』は今世紀最大のクソ駄作。見る価値なし。

    あらかじめ古臭いSFアニメガッチャマンクラウズを一言でいえば「『新しい』とは何かを勘違いしたSFごっこアニメ」だ。 スタッフは新しめのガジェットを詰め込めば「新しいアニメ」になると勘違いしている。 SFとは未来のプロトタイプであり、現状追認でしかないクラウズは「SFごっこ」でしかない。 新しいようでいて既に古臭いガッチャマンクラウズ。その理由を三つ挙げよう。 ガジェットが古臭いガッチャマンクラウズの世界ではGALAXというSNSが浸透しているが、 その画面は一言で言えば、ポストペット、あるいはセカンドライフだ。 架空の部屋に架空のキャラクターを置き、会話をしている。 この画面を見るたびに、私は恥ずかしくなる。いったい何年前のインターネッツだ。 バーチャルリアリティもアバターもすでに終わった。誰も使っちゃいない。 LINEを見ればわかる。高速に意思疎通ができればいいのだ。架空の部屋も、人形

    『ガッチャマンクラウズ』は今世紀最大のクソ駄作。見る価値なし。
  • http://anond.hatelabo.jp/20130827181414 (承前) ここで中森明菜が傾倒を見せた近藤..

    http://anond.hatelabo.jp/20130827181414 (承前) ここで中森明菜が傾倒を見せた近藤真彦について考えてみましょう。 近藤真彦は男性芸能人としては、意外かも知れませんがわりあい人格者です。これは彼が早いうちからトップアイドルであったことを踏まえれば意外でもあります。女性アイドルと較べても男性アイドルは「貧困家庭出身」「孤児」「芸能界以外では使い物にならない不良」の割合が当時は大きかったのです。これは男性が一家の大黒柱にならなければならないという当時の当たり前の感覚からすれば、芸能界に関係して、売れればいいものの売れなかったらただの低学歴者になってしまうというプレッシャーがあったので、失うものが無い人でなければ芸能界に進むと誰よりも当人がふんぎりがつかなかったからです。もちろんそのプレッシャーは女性にもありましたが、嫌な言い方かもしれませんが当時的な感覚で

    http://anond.hatelabo.jp/20130827181414 (承前) ここで中森明菜が傾倒を見せた近藤..
  • マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

    80年代女性アイドル格付 http://anond.hatelabo.jp/20130821065806 を書いたマスダです。 今日は中森明菜について。 (追記) こちらを見落とされている方が結構いらっしゃるようなので。 マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論 http://anond.hatelabo.jp/20130825215309 今回は松田聖子論に続く「第2回目」です。「80年代女性アイドル格付」の順位順に書いています。次回は小泉今日子です。 松田聖子もずいぶん批判されましたが、今になってみれば、いったい何が批判されたのか、よく分からないところがあります。恋多き女性という印象もありますが、婚約・結婚を含めて彼女は4人の男性と法的なパートナー関係を結んだ経験がありますが、いちいち結婚という形をとりたがるのは彼女の価値観の基盤が実は案外保守的だからです。パートナーに対して彼女が求め

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  • 「Idea」を聴いただけでわかった菊地創のある強烈なコンプレックス

    その言動が幼稚すぎて今話題になっている作曲家、菊地創が自画自賛している曲eufonius 「Idea」を聴いた。 曲を聴いてすぐわかった。 この人は楽器が弾けない人なんだ、と。 おそらく「さわれる」レベルでキーボードくらいなものだろう。 (電子鍵盤は指を押し当てるだけで音が鳴るから、作曲初心者にはもっとも容易い) だが決して「弾ける」というレベルに扱える楽器は菊地創にあるまい。 彼はライブでも両手で弾くようなパフォーマンスはできないのではないか? ある程度、音楽をきちんとやっている者なら簡単にわかることなのだが、 全く楽器を弾けない人の作る曲には特徴があって、すぐに判別がつく。 音楽的な美しさがない。あるいは欠けている。 この場合の「音楽的な美しさ」とは何かというと、それは「響き」である。 例えば“ただ音が鳴っているだけの状態”を「音楽」と定義出来るかどうか? 生まれて初めて玩具のピアノを

    「Idea」を聴いただけでわかった菊地創のある強烈なコンプレックス
  • 【ネタバレだらけ】ダークナイトライジングのだめなところ

    根幹部分・ダークナイトの続編ではなくビギンズの完結編だった。 ・もはやほとんどの人が求めてなかったラーズアルグールサーガを引っ張った。 ベイン・ベイン役の人がチビなので引きの画面が辛かった。 ・「都市を閉鎖」「爆弾で市民を人質に取る」は前作でもうやった。 ・前作で笑って否定した「殴り合いで決着とかwww」を大真面目にやった、しかも2Rもかけた。 ・黒幕のタリアが出てきたとたんしくしく泣き始めてでくの坊化した。 ・タリアの言いつけを破ってブルースをすぐ殺そうとするのはあまりにもありえなかった。 たかが復讐でこれだけ偏執的な計画を実行しておいて手順を最後までちゃんとやらないのはありえなかった。 ・間一髪で飛び込んできたキャットウーマンに砲撃されていい加減に退場は酷すぎた。 この「間一髪!」ってやるためだけにブルースを殺そうとしたのも酷すぎた。 タリア・土壇場でババーンと黒幕バレして出てくるがそ

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