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lifeと震災に関するkana321のブックマーク (3)

  • 「大好きだよ」瓦礫に母残し4年 19歳が誓った言葉:朝日新聞デジタル

    私は東日大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。 小さな集落でしたが、朝学校へ行く際すれ違う人皆が「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、温かい大川がとても大好きでした。 あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起き、地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。 しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡

    「大好きだよ」瓦礫に母残し4年 19歳が誓った言葉:朝日新聞デジタル
  • 3.11が無ければ結婚していなかった

    不謹慎だと言われればそうなるだろう。 僕は今年10月に結婚する。 約2年付き合った一つ年下の彼女。 僕は東京、彼女は広島。遠距離恋愛の末の結婚だ。 2011.3.11当時、僕も彼女も同じ大学の学生だった。 二人とも大学のそばにそれぞれ一人暮らしをしていた。 その時は別に付き合っていたわけじゃないけれど、共通の友達も多かったし、一緒に飲んだりすることもあった。 僕らが住んでいたのは千葉。地震の被害としては東北と比べたら大したことないとかいわれるけど、 数日交通網が麻痺していたのは覚えてるし、コンビニやスーパーからべものが無くなって、米だけべてた数日間とかもあった。 計画停電というものがあった。 電力消費を抑えるため、地域ごと時間を区切って意図的に停電させるものだ。 僕は当時の彼女とずっとメールをしていた。 「大丈夫、怪我とかしてない?」 「べ物ある?」 「寒くない?」 彼女はこう返した

    3.11が無ければ結婚していなかった
  • 震災・津波 流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 | 大槌みらい新聞

    流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 配信=2013/02/07 記事=耳塚 佳代 Tweet 大槌町町 臼澤良一 64歳 当日は自宅にいたんですよ。事業の報告書を書いていたんです。あとはファイルに綴じるだけだったので、るんるん気分でインデックスを付けていた。そうしたら、とんでもない大きな揺れ。一度も経験したことがない、当に恐ろしい揺れ。うちが潰されるんじゃないか、死んでしまうんじゃないかという。プリンタやパソコン、棚とかレコードとか、ぜーんぶ(崩れてきた)。前にも進めない。早く止まってくれないかと思っていたが、当に長いんですね。 やっと揺れが終わって、そしたらうちのが「お父さん津波だから逃げよう」って、1階から声が掛かった。テレビも電気も全部付かない。ラジオのスイッチ入れて聞いたら、3メートルの津波だと。親父の代からあそこに住んでいたけど、ここま

    震災・津波 流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 | 大槌みらい新聞
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