はてなブログの記事一覧ページ(archiveページ)のサムネイル画像と記事本文を非表示にし、はてなダイアリーのような見出しのみのリストにしたいです。 HTMLやCSSどのようにすれば良いでしょうか?
はてなダイアリーのテーマ「Hatena」風のテーマです。 幅が可変なところが特長です。 なるべくオリジナルのテーマに似せることを目指しています。 ソースコードをGitHubで公開しています。 https://github.com/hikaen2/Hatena-Blog-Themes 本テーマはテストが不十分です。 不具合や改善点は、GitHubにプルリクエストをくださるか、GitHubにissueを書いてくださるようお願いいたします。 2013-10-12 font-family を sans-serif に変更しました。 デフォルトのフォントにしたい場合は、デザインCSSに以下を入れてください。 html, body { font-family: 'Helvetica', 'Arial', 'メイリオ', 'Meiryo', 'MS PGothic', 'ヒラギノ角ゴ Pro W3',
いじめに関する議論を見ていると、多くは「不良が普通の子をいじめる」と考えているようだ。その最たるものが「いじめに対して毅然とした対応」として「出席停止」などの「処分」でもって望もうとする動きである。またそれに反対する側も同じような立場に立って議論している。いじめた側も弱者なのだ、とか。素行不良な者が素行善良な者を捕まえて暴力行為を働いたり、金銭をせびったりするのは、犯罪である。「いじめは犯罪である」という物言いは、それを反映したものであろうが、そのような「犯罪行為」と、今問題になっている「いじめ」の問題はかなり対応が異なるのだ。 『いじめの社会理論』の著者内藤朝雄氏は「いじめ」*1を二つに分ける。殴る蹴るといった暴力によるいじめと無視やあざわらいなどのコミュニケーション系のいじめである。そしてそれぞれの対処法は異なる。暴力系のいじめについては被害者が司法に訴えるのが有効、コミュニケーション
http://www.harajukushinbun.jp/headline/406/index.html http://www.harajukushinbun.jp/headline/408/index.html そもそもはhttp://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20061122/p1経由で知る。 内藤朝雄氏、「いじめ」を語る。「いじめ学」というのが既に成立してるんだ。すごい。 気になった部分を抜き書きしておく。 まずは前半http://www.harajukushinbun.jp/headline/406/index.htmlの方から。 ―――こうした悪質ないじめが発覚すると、必ず起こるのが「最近の子どもたちはどうなってしまったのか?」という戸惑いの声だ。彼らが行っているいじめは、本当に我々が子供の頃にあったそれとは異質なものだろうか? 「まず断っておきたいが、悪
時間がなかったので、今頃やっと視聴。 いじめ問題に関しては内藤氏の研究には注目していて、著作「いじめの社会理論」は購入したが未読。とりあえずビデオ放送を先に見る。 http://www.videonews.com/asx/marugeki_backnumber_pre/marugeki293_pre.asx 現在のいじめ問題について いじめは時代的、地域的に普遍的に起こるもの。逃げ場のない狭い環境に囲われている条件では起こりうるもの。 日本だけの特殊な現象ではない。ただ日本の学校の異常なまでの共同体主義*1がいじめの温床となっている。 いじめを解決するには 暴力的ないじめに対しては警察を導入。学校を聖域化するのを止め、一般の市民社会と同じルールを適用。 多元性の確保。子どもの社会を学校だけに依存させない。部活動を学校から開放し、地域コミュニティが担う等。 将来的には学級制度を解体すべき。
日を追うごとに深刻の度を増す、連日のいじめ報道。だが問題のあまりの根深さを前にして、我々大人が口にできることといえば「命を尊重する教育を」に代表される手垢の付いた反省、実効性の疑われる対策ばかりだ。 いじめをめぐる言葉が10年、20年前からなんら変わらない状況に半ば絶望を覚えながら、著書「いじめの社会理論」などで具体的提言を続けるいじめ問題研究者・内藤朝雄氏(写真=明治大学助教授)を訪ねた。「現状の学校制度を根本から変えない限り、いじめによる自殺はなくなるはずがない」と説く、内藤氏の主張とは。 ―――こうした悪質ないじめが発覚すると、必ず起こるのが「最近の子どもたちはどうなってしまったのか?」という戸惑いの声だ。彼らが行っているいじめは、本当に我々が子供の頃にあったそれとは異質なものだろうか? 「まず断っておきたいが、悪質ないじめは時代に関係なく、閉ざされた濃密な人間関係の中にあっては必ず
イジメ問題への考察として面白いものがあったので紹介します。 いじめる側のメリットが大きくコストが少ない限り、いじめ発生は不可避だろうhttp://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20061113/p1 **************************************************************** 人はメリットがあるからこそ行動する生き物であり、いじめもまた、 いじめ首謀者にとってそれなりの旨味があり、リスクやコストが 小さいからこそ発生するものと私は考える。 とんぼの羽を引きちぎることに罪悪感を覚えない、 悪知恵と腕力だけはいっぱしに身についた中学生達に、 (大人達自身も方便だと思っているような)形骸化した 倫理観・道徳観を期待したところで効果は無いし、 いじめる側が狂っていると叫んでみたところで事態は変わらない。 地域や大人社会との
いじめについて色々な事がネットで書かれているのをみると、「誰が悪い奴か」「不可避なことか否か」「いじめられた側/いじめる側はどうすべきか」について書かれているものが多い。また、いじめの多発する現状を異常事態と騒ぐ人も多いようだ。しかし、「いじめの機能を解剖」してみようとか「いじめを通していじめる側が獲得するメリット/コスト」について書かれたテキストは数があまり多くない。 確かにいじめは憂うべき事態なのは分かるけど、ここまで全国津々浦々の中学校に蔓延している以上、いじめを非機能的異常現象として捉えることはもはや適切ではないだろう。私が中学生だった十数年前以来、いじめの構造はほぼ一貫して思春期前期〜中期の学校に存在していたと思う*1。現代の思春期の子にとって、実はいじめは「機能的なもの」で「個人の適応を促進させるもの」で「抑止力が働かない限り必然的にエスカレートするもの」ではないだろうか?いじ
最近の「いじめ問題」の報道についての雑記:ekken いじめの質的変化 - Munchener Brucke 「いじめ問題」の一番大きな特徴は、自殺など被害者が具体的行動に出るまで(あるいは出ても尚)、「いじめが存在しない」ことになっている点にあると思う。 これは大きな事実誤認だろう。この世の中に、「いじめが存在しない」集団など一体何処に存在するというのだろうか。自分の身の周りを見渡してみればいい。そこかしこに「いじめ」、あるいはそれを想起される事象が転がっているはずである。 そう。「いじめが無い学校」こそこの世に存在しないのだ。 学校がスムーズに「いじめ」の存在を認める為には、まず「いじめ」というものが特殊な事態なのではなく、どういった集団、どういった人物においても当然の如く起こる問題だという認識の更新をしなけらばならない。その上で、学校側に求める職務を、「いじめを起こさないこと」から、
・こちらのコーナーでは脱オタ(侮蔑されるオタクが、コミュニケーション上の劣勢を挽回する試み)を行った各ケースをご紹介しています。 ・症例16;「性欲と恋愛感情の乖離」の強烈な一例(2007.Nov.) ・症例15:スタートラインで大きなハンディを抱えていた可能性を含んだ一例(2007.Oct.) ・症例14:オタクコミュニティに適応しきれなかったことが、かえって脱オタを促進した一例(2007.Sep.) ・症例13:どん底の時代から艱難辛苦を乗り越えて脱オタに成功した比較的高齢の一例(2007.May) ・症例12:コミュニケーションよりもhobby志向の強い女性からの報告・彼女は脱オタを必要としているのか?(2007.Apr.) ・症例11:もともとコミュニケーション上のハンディが小さく、オタク趣味の呪縛・拘泥を含まない一症例(2007.Apr.) ・症例10:だめな所も受容してくれる経
私の手元に、『惑星開発委員会』の同人誌が二冊ある。『http://www.geocities.jp/wakusei2nd/p01.html』『第二次惑星開発委員会 PLANETS Vol.2』。オタク作品評論が好きなオタク達にとって、この二冊の挑発はとても手強いんじゃないかと思う。副題として『大衆を挑発するお茶の間襲撃マガジン』と書いてあるが、内容を読んでみると『安いオタ/サブカル野郎を挑発するオタ部屋襲撃マガジン』と表現するのが適切そうにみえる。だが、少し読んでみれば分かる通り、『惑星開発委員会』のメンバーは強力で、彼らと正面から議論するのは非常に困難である。まず、このテキストでは、『惑星開発委員会』の中心人物と目される善良な市民さんがいかに手強いのかに焦点をあててみる。 【善良な市民さんの手強さをご紹介】 善良な市民さんの“挑発”にトサカに来ちゃったオタクはどうすればいいのか。議論に参
嫌オタク流 作者: 中原昌也,高橋ヨシキ,海猫沢めろん,更科修一郎出版社/メーカー: 太田出版発売日: 2006/01/24メディア: 単行本購入: 5人 クリック: 120回この商品を含むブログ (145件) を見る読みました。ええと、面白かったですよ。 まず誤解しないで欲しいことが。この本のタイトルと4人の著者名だけ見たら、この4人がよってたかってオタク叩きしてるような印象を持つかもしれませんが、それは違いまして。本書の冒頭に、 本書は、現代オタク事情に関しては門外漢としか言いようがない二人、つまりぼくと中原昌也氏が、その世界の方(海猫沢めろん氏、更科修一郎氏)に、こういった疑問をぶつけてみた対談集である。 (高橋ヨシキ 「はじめに」より) とあるように、海猫沢・更科両氏がオタクプレゼン係、中原氏・高橋両氏がオタク批判係という役割分担になっていますのでお間違え無いよう。 あと上にもある
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