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2007年9月25日のブックマーク (2件)

  • 脱オタクファッションの限界 - 30代からの脱オタク

    この4年間脱ヲタ道を邁進してきたけど、どうも限界を感じつつある。 確かにいい服は揃った。 着まわせる量もある。 ファッション雑誌を読み、ある程度の組み合わせはちゃんと出来るようにもなった。 でも、決定的に足りない部分がある。 ソレは・・・何と言っていいか・・・うまい言葉は見つからないんだけど・・・ 何と言うか「リアル感」というか・・・。 つまりは、ソレを「着る」んじゃなくて「着こなす」。 いや、着こなしの知識はある。 そうじゃなくて・・・知識とかじゃなく・・・。 何と言うか・・・「感覚的に着こなす」「自然に着こなす」・・・。 つまり「知識」としての着こなしじゃなくて「ライフスタイル」としての着こなし・・・。 上手いこと言えないけど、そんな感じだ。 そしてそんな「リアル感」の根は、断言すれば「音楽」と「スポーツ」じゃないだろうか。 「何を唐突な」という意見は甘受する。 「極論過ぎる」という

  • こころはどこにゆくのか? - 「制止する人間が一人もいない」問題

    客観的に見れば明らかに限度を超えた行為が集団によって行われてしまうケース。これはいわゆる「集合知」がなぜかはたらかないケースと言えると思いますが、そういう『集合愚』としか言いようのないことが起きたとき、一体そこにはどういう問題が起きているのでしょうか。 たとえば『いじめ』は明らかにそういうケースでしょう。また、少し前の「高校野球・特待生問題」については、限度を超えた特待生制度を行っていた学校も、またそれに対する高野連の処罰も『集合愚』のごときものでした。総裁選の少し前までやたらと元気な話題だった「政治とカネ」においても、平気でやっていた政治家(後援会や事務所の人々、そして党内の人々)も政治家なら、限度を超えてどうでもいいことまで報道する側もする側…みたいな。そして今日報道されたニュースも、同じ集合愚の典型だったと言えましょう。 真相報道バンキシャ!2007/9/3(@ウェブ魚拓) 杉村太蔵

    こころはどこにゆくのか? - 「制止する人間が一人もいない」問題