つねちゃんは、――少なくとも、ぼくのけして長いとはいえない付き合いから言えば――人並みには臆病だ。 警察という保障がありながらも沿道の右翼の罵声には立ちすくんでしまうぐらいには*1臆病だ。 そのつねちゃんが、自らすすんで在特会の暴力に晒されるためにプラカード(という名のただの紙切れ)をかかげたなんてありえない。 つねちゃんがプラカードを掲げるのは、排外主義に対する明確な拒否以外の何者でもない*2。そのような、ある種の信念を貫くと呼べるような行為そのものが、好きでたまらない人がいるのは知っている。でも、そういう人は結局のところ、たとえば城内みのるでさえ賞賛してしまうのだろう。 また、このような暴力が発生することは予期できたはずだから、(排外主義反対をかかげるのは)賢明ではなかったという人もいる。しかし、まさに排外主義が行われているその現場で排外主義に反対してはならないのであれば、われわれは一